きくなじんじゃ
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菊名神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月27日(金)
参拝:2023年1月吉日
下記投稿後いろいろ判明。有房さん一行は、律令時代の東海道を下り、足柄山~平塚~神奈川宿を~子安の浜入江から星川を渡り、足洗川~大口~西寺尾町~妙蓮寺裏山~菊名小学校辺に馬の鐙を納めた。近在の住人が、それを敬い「阿府神社」となった。その後、菊名町公園辺りに他の鎮守と合わせ合祀され、更に菊名神社に移されたようである。菊名小学校の山側の道を道なりに師岡方面に向かうと「式坂」を経由し、「いの池」の真後ろに出て「師岡熊野神社」の正面にたどり着く。この道が有房さんのたどった道のようである。勝手に考え過ぎであったと反省…尚、菊名神社には「阿府神社」がしっかり祀られており、全てスッキリできた。
由緒にある885年に光孝天皇の勅使「藤原有房」が師岡熊野神社に下向する途中に立ち寄った事に興味を持ち再度の参拝。馬の鎧を納めた「阿府神社」が菊名町公園辺りに創建され、その後、他の神社と合祀され、現「菊名神社」になったの事。885年は、菅原道真が頭角を現した時期で、藤原基経が関白になり藤原摂関体制が整い始めた頃。(4代後が道長)
菊名町公園は綱島街道沿いに有り、菊名神社までは綱島街道を少し歩いて5分ほどだった。9世紀に京から菊名までどんな道をたどったのだろう?菊名神社から師岡熊野神社へは、きっと綱島街道の辺りを行ったのだろうと歩いてみたら30分ほどで到着した。綱島街道は車が混み合う道路だが、頭の中は、馬上の藤原有房もどきであった。私の大好きな勝手に歴史を感じる瞬間である。
藤原有房を調べてみたが、鎌倉時代の有房が有名で、平安時代の有房は見つからなかった。
この辺りの寺社仏閣を基点に人物や古道を探索するのも楽しそうだ。
由緒にある885年に光孝天皇の勅使「藤原有房」が師岡熊野神社に下向する途中に立ち寄った事に興味を持ち再度の参拝。馬の鎧を納めた「阿府神社」が菊名町公園辺りに創建され、その後、他の神社と合祀され、現「菊名神社」になったの事。885年は、菅原道真が頭角を現した時期で、藤原基経が関白になり藤原摂関体制が整い始めた頃。(4代後が道長)
菊名町公園は綱島街道沿いに有り、菊名神社までは綱島街道を少し歩いて5分ほどだった。9世紀に京から菊名までどんな道をたどったのだろう?菊名神社から師岡熊野神社へは、きっと綱島街道の辺りを行ったのだろうと歩いてみたら30分ほどで到着した。綱島街道は車が混み合う道路だが、頭の中は、馬上の藤原有房もどきであった。私の大好きな勝手に歴史を感じる瞬間である。
藤原有房を調べてみたが、鎌倉時代の有房が有名で、平安時代の有房は見つからなかった。
この辺りの寺社仏閣を基点に人物や古道を探索するのも楽しそうだ。
すてき
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青島功明4投稿
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