れんしょうじ|浄土宗|菊名山
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楽しみ方蓮勝寺のお参りの記録一覧


正式名:菊名山喜楽院蓮勝寺
神奈川県横浜市港北区菊名にある浄土宗の寺院。
本尊は阿弥陀如来で、横浜七福神のうち毘沙門天を祀る札所となっている。
正和4年(1315)に蓮勝上人が創建したとされ、
のちに荒廃したが、天文年間(1532〜1555)に喜楽和尚が現在地へ移し中興した。
蓮勝寺には様々な伝承があり、境内の石猿が関東大震災を予見したとする逸話や「走大黒」の逸話が伝わる。また、寺の脇を通る川崎坂はタヌキが薬缶に化けて坂を転がしたという昔話に因み、別名「薬缶坂」とも呼ばれる。
境内の毘沙門堂には横浜七福神の「毘沙門天」が祀られており、像は左手に鉾を持つことから「左利きの毘沙門天」とも呼ばれ、運慶作の「日本三毘沙門」の一つと伝わる。
正月松の内の7日間(初詣)と、1月・5月・9月の初寅の日に特別開帳される。

浄土宗寺院の蓮勝寺は、菊名山喜楽院と号します。
正和4年(1315年)2月に、浄土宗十六祖師の一人蓮勝上人が浄土宗小机泉谷寺(横浜市港北区小机町256)の末寺として創建したと伝えられます。
開山直後は関東16庵室に数えられるほどであったが荒廃し、応永年間(1394~1428年)に喜楽和尚が字(あざ)宮谷(現在の横浜駅西側)から現在地へ移して中興しています。その際に喜楽和尚の号を採って喜楽院と名付けました。その後幾度か天災や地震に遭い、堂宇が荒廃したため、第20世暢譽上人の代に、地頭久志本氏の久志本左京常弍の外護を得て再建しました。また安政(1854~1860年)の台風、関東大震災[大正12年(1923年)]などに大破したが、修繕を経ている。
※参考にしたサイトは横浜市史稿(大正9年編纂開始、昭和初期に成立)
なお、蓮勝寺の毘沙門天王は、横浜七福神の毘沙門天となっています。


24.01.05。東急東横線「菊名駅」東口より徒歩5分。横浜市港北区5丁目の駅前商業地に近い所にある浄土宗の寺院。
《横浜七福神・毘沙門天》
山号 菊名山
院号 喜楽院
創建 正和4年(1315年)
開山 蓮勝上人
本尊 阿弥陀如来
【由緒】~本堂前由緒書きより~
当山は鎌倉時代、正和4年(1315)浄土宗第五祖蓮勝上人が諸人の幸せを祈願して開創された寺。本尊は阿弥陀如来。下境内の毘沙門堂(元禄3年建立)には運慶作¨日本三毘沙門¨として、又、霊験特に厄除け開運の効あらたかな毘沙門天を奉安。
横浜七福神巡り②として参拝。境内は二段になっており、下に毘沙門堂、上に本堂の構成で縦になっています。各所は手入れが行き届いており気持ちよく参詣できました。
御住職は現在、鎌倉市にある浄土宗大本山光明寺のご法主台下様です。


入り口

門前の《掲示板》

門柱

下境内


毘沙門堂
堂内は撮影禁止!

↓


毘沙門堂の左側に
↓


参道

石段手前左側に

上境内

左側に《鐘楼》

本堂
右側で直書きの御朱印を拝受。


上境内左側↓

仏足石碑

六地蔵

境内右側に
↓


墓地内↓
永代供養塔

歴代上人のお墓

墓地内より新横浜プリンスホテルが見えました。

2022新春七福神巡り(午後の部) その2
菊名池弁財天から東横線沿いに歩く事15分。
毘沙門天の札所の浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
コロナ禍でお参りがどうなるかと心配しましたが、無事にご開帳されていました。
普段、中止になっていた御朱印も「七福神帰還」中は再開しておりました。
それ以降の対応はわかりません。



山門を入ってすぐ右手が「毘沙門天」のお堂です。


仏足石です。



さらに上がったところが本堂です。
地元の方をはじめ、多くの方が参拝しておりました。
本堂の右横で授与品をいただきました。

七福神を乗せる「お舟」。

「毘沙門天」のお姿です。

七福神の御朱印と共にご本尊の御朱印も併せていただきました。
なぜか日付が「1月1日」に。

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