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ほんもくじんじゃ

本牧神社の御由緒・歴史
神奈川県 山手駅

ご祭神《主》大日靈女命
《相》須佐能男命、大山津見命、木花咲耶姫命、八幡大神、八王子大明神
創建時代1192年(建久2年)
創始者源頼朝
ご由緒

本牧神社は、旧くは「本牧十二天社」と称し、本牧岬の先端の出島に鎮座し、境内は玉樟を始めとする巨古木が蒼然と杜をなし、鳥居際には波が打ち寄せる風光明媚な社でした。その様子は、江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれています。
 御創建は、建久3年(1192年)源頼朝公が鎌倉に幕府を開くに当たり、幕府鬼門の守護として平安期から奉祀されていた社殿に朱塗の厨子を奉納したとも、また弘長3年(1263年)の元朝、里人が海中より輝く大日霊女命(=天照大神)の像を拾い上げ、社を設け村の総鎮守としたとも伝えられるなど、幾つかの説があります。
 往古より朝野の崇敬篤く、鎌倉時代には将軍より、室町時代には関東管領より社領の寄進があり、徳川家康公の江戸入府以降は、徳川将軍家からも代々社領寄進の御朱印が下されていました。神仏習合の時代には、本地垂迹また仏説により護法の「十二天」を神前に祀っており、これが江戸末までの社名「十二天社」の謂れとなっています。
 明治以降は、神仏分離令により「本牧神社」と称し、政府の政策により村内の各神社を合祀。本牧一帯の総鎮守として村社に列せられ、公から幣帛供進使参向の指定も受けていました。
 昭和20年(1945年)5月の横浜大空襲では氏子町とともに大きな被害を受け、翌21年からは進駐軍の接収により創建以来の社地を奪われ、以後47年間仮遷座を余儀なくされました。
 接収解除、境内地の換地返還、氏子崇敬者の赤誠を結集した新社殿の竣功を受けて、平成5年10月23日現鎮座地への本殿遷座祭が斎行され、今日に至っています。

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