せいしょうこうどう
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楽しみ方清正公堂のお参りの記録一覧

延宝4年(1676)、吉田勘兵衛が吉田新田北ニッ目に自性院日身上人を招いて「栄玉山常清寺」を建立した。
そして文化9年(1812)、常清寺の境内に「清正公堂」が開堂し、「長者町の清正公さま」と呼ばれ親しまれた。
しかし、後の横浜大空襲で常清寺は焼失し、現在の清水ヶ丘に移転。戦災を免れた「清正公堂」の周辺は盛り場として栄えたのだが、お堂の維持管理が困難となり、昭和53年(1978)に常清寺の側へ移転した。
平成10年(1998)2月28日に開堂供養・浄行菩薩開眼法要の儀式を行い、現在は一般に公開されている。
毎年5月4日、5日に行われる「五月大祭」には、強運の清正公にあやかり、人生の苦悩に打ち勝ち幸運に恵まれるよう「しょうぶ入り御勝守」が授与される。また、毎月24日には「信行会」が、6月24日には「清正公正当会」が行われる。























横浜市中区、伊勢佐木町、日ノ出町など賑やかな所にあります。
元々は、ここに日蓮宗寺院もあったようですが、火災や横浜大空襲(昭和20年5月)に遭い、寺院は横浜市南区久保山の方に移っています。
ちなみに、そこの寺院にいた野良猫を私と友人は、1匹ずつ引き取っています。
日蓮宗寺院の長者町清正公堂は、熊本発星山本妙寺から栄玉山常清寺に赴任した常清寺第十世不染院日亮上人(文化9年1813年寂)が、長者町にあった常清寺境内に開堂、戦災により常清寺は南区清水ヶ丘に移転したものの、清正公堂は、長者町の初代吉田勘兵衛住宅跡に別院として建立したといいます。初代吉田勘兵衛は、万治2年(1659)に入海だった当地を埋め立てて新田開発、新田開発の功により名字帯刀を許されて吉田勘兵衛と名乗り、村名を吉田新田と称し、1,300石の田畑所有を許された名主で、常清寺を開基しています。(横浜市の説明より)






現在の寺院がこちら。



庭にいる猫たち。
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