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すいてんぐうひらぬまじんじゃ

水天宮平沼神社の御由緒・歴史
神奈川県 平沼橋駅

ご祭神ご祭神 天之御中主大神、安徳天皇
境内社 平沼稲荷社、荒神さま、平沼天満宮
創建時代天保10年(1839)
創始者平沼九兵衛
ご由緒

平沼新田と平沼神社(水天宮)の由来
平沼新田は、帷子川下流地帯の新田のうち、江戸時代の最後に、その最先端に開かれた。今の平沼一、二丁目西平沼町あたりである。平沼家は、常陸(茨城県)の出身で、明暦年間(一六五五~一六五八年)に保土ヶ谷宿に移って代々酒造業を営んでいたが、天保十年(一八三九年)五代目平沼九兵衛が埋立を始め、七代目九兵衛のときに大成した。七代目九兵衛は二十才の時、文久三年(一八六三)平沼新田に移住し、新田開発のかたわら製塩業を営み、明治に入ってもなお新田の築造を続けた。平沼神社は天保十年九月五日に五代目九兵衛が新田の守護神として創建した。もとは、水天宮と称したが、明治の初年に平沼神社と改称し村社に列せられた。言い伝えによると、この新田の住民の多くは製塩業に従事していたが、或る日その一人が海水取り入れの水路に水天宮の御札(御霊)が流れ着いているのを拾い挙げこれを地主の九兵衛が神の啓示とその場所(今の元平沼橋のあたり)に祠を祀って水天宮を祀ったのが初めである。その後市街の発展によって、三度も位置を変え、大正二年(一九一三年)に今の境内に社殿を造営し現在に至っている。
水天宮は「水徳の神」として安産や水難・火災よけに霊験があるとされることから、大正十二年九月一日の大震災に四辺は猛火の中に包まれたが、危く奇蹟的にも厄を免れたと言われ、また、昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲にも難を免れている。
大祭は九月五日に催されるが、正月五日の「湯の花神事」(湯立行事)は特に有名である。神主が大釜の熱湯に浸した笹葉を持って参詣人の頭上に放撒する。
この熱湯を浴びた者は、その年は無病息災とされる。
祭神は天之御中主大神と安徳天皇。(西区観光協会掲示より)
https://tesshow.jp/yokohama/nishi/shrine_hira_hira.html

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