もりとだいみょうじん(もりとじんじゃ)
森戸大明神(森戸神社)のお参りの記録一覧(3ページ目)
京急夏詣16社目
16社制覇の記念品がなくなったとツイッターでみたので、もう順番にこだわらなくていいかと思い
(残ってるなら西叶神社を最後にしようと思っていた)、
こちらで夕日を見ようと、最後にしてみました。
こちらは海水浴場のそばなんですね。
水着で参道を歩いている方がいて、一瞬驚きました。
境内には注意書きもあり、さすがにらっしゃいませんでしたが。
海水浴場から音楽が聞こえて着たり、にぎやかでしたが、
お参りをしていたら、それもきになりませんでした。
千貫松を拝見したり、名島を見たり、残念ながら台風のあとだったので富士山は見ることができませんでしたが、
それでも海を静かにみることができ、いやされました。
御朱印は直書きいただけました。
立体御朱印も気になったのですが、またの機会に。
一度食事のため、外にでて、また戻り、夕焼けをのんびり。
今度は富士山が見えるときに来たいです。
京急夏詣のパンフ。
京急夏詣の御朱印帳とフリーパス使用でもらったステッカー
16社でもらったはさみ紙を並べるとこうなる。
【森戸大明神】
治承4(1180)年、源頼朝が鎌倉に近い葉山の地に創建。幕府に災厄があると行われる七瀬祓の霊所として重要な地。本殿の裏手は海で、相模湾越しの富士山や美しい夕日などの絶景を望める。
京急夏詣チャレンジ中💪✨
海が綺麗で何度も足繁く通いたい神社の一つです🙋🏻♀️💓
行く度にワクワクします😳
#京急夏詣 #森戸大明神
🌸御朱印
皆様に多くの福が訪れるように、当神社限定の多幸多福みくじから愛らしい顔のフグをデザインに。
初穂料 500円
夏詣8社目
【祭神】
大山祗命 (おおやまつみのみこと)
事代主命 (ことしろぬしのみこと)
今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ、*七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
また、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。(神社庁指定神社)
潮の香りが感じられます。
夏詣にて伺いました。
源頼朝に関する御朱印もありました。
夏詣の御朱印
千貫松(センガンマツ)と頼朝公
名島(菜島)の大鳥居
拝殿
京急夏詣キャンペーン参加
終点の逗子、葉山駅からバスで移動。
海に囲まれた神社です。
景観がとても綺麗。
夏詣限定御朱印
バス停からすぐの鳥居
手水場
催し物
誕生の子供の名前を書きます。
誕生の石
稲荷もあります
社殿(七夕飾りもあります)
右の狛犬
左の狛犬
社殿
鳥居
鳥居をくぐる前にある狛犬
今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ、*七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
また、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。
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