もりとだいみょうじん(もりとじんじゃ)
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森戸大明神(森戸神社)のお参りの記録(3回目)
投稿日:2024年06月20日(木)
参拝:2024年6月吉日
引っ越し先の氏神様に仕事帰りにご挨拶に
今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ、*七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
また、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。(神社庁指定神社)
今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ、*七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
また、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。(神社庁指定神社)
すてき
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