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顕正寺ではいただけません
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顕正寺のお参りの記録(1回目)
神奈川県浦賀駅

投稿日:2023年07月21日(金)
参拝:2023年7月吉日
ここも歴史あるお寺だ。

この寺の墓地には、横須賀が舞台となった小説『血族』の作者、直木賞作家の山口瞳(山口家)の墓があります。
本堂脇の一段高い墓地には、浦賀の代表的歌人である西野前知の墓があります。前知は、幕末に浦賀の回船問屋年寄役として奉行所と回船問屋の間で活躍した人です。この功績から、明治維新後に新政府の浦賀役所の書記役として採用されました。前知が書き残した書類は、現在、浦賀奉行所のことを知る重要な資料となっています。
また、江戸時代中期の陽明学者である中根東里の墓もあります。東里は、伊豆下田の生まれで、若くして僧侶になりますが還俗(僧をやめる)し、当時の一流学者である荻生徂徠や室鳩巣に師事します。しかし、あきたらず、独学で陽明学を学び、栃木県の佐野で塾を開いていました。年をとるにつれ、母が晩年を過ごし、唯一の身寄りである姉(浦賀奉行所与力の妻)がいる浦賀の地を故郷のように思い、ここで70余年の生涯を閉じました。
本堂の裏手には、元浦賀奉行所同心である春山弁蔵や、元浦賀奉行所与力の岡田井蔵の墓もあります。春山弁蔵は、幕末に石川島で造られた幕府軍艦千代田形の船体構造を設計しました。後に榎本武揚とともに、咸臨丸副長の職で函館へ向かいましたが、台風に遭い、修理のため清水港へ向かう途中、官軍軍艦の砲撃により、無念の最後を遂げました。岡田井蔵は、長崎海軍伝習所で機関学を学び、咸臨丸への乗り組みを命じられ、明治維新後は、横須賀造船所の海軍一等師として、海軍造船界に大いに貢献しました。(横須賀市の説明より)

今まで知らずにいた浦賀の地を知った。
顕正寺(神奈川県)
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すてき

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