むらとみじんじゃ
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村富神社ではいただけません
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村富神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月31日(日)
参拝:2024年3月吉日
村富神社は江戸時代前期、商人の相模屋助右衛門が新田開発の成就を祈願して稲荷社を創建したことに始まります。
相模原市矢部から座間市相武台に抜ける県道507号線は通称「村富線」と呼ばれていますが、ここ村富神社が起点であることに由来しています。
昔は境内に巨大な松の御神木があり、津久井や神奈川へ通じる街道からよく見え道標になったことから、自然と「村富線」と呼ばれるようになったとも言われています。
現在、御鎮座350年記念事業の拝殿修繕工事が行われていますが、通常通り参拝できます。
御朱印は亀ヶ池八幡宮で拝受できます。
相模原市矢部から座間市相武台に抜ける県道507号線は通称「村富線」と呼ばれていますが、ここ村富神社が起点であることに由来しています。
昔は境内に巨大な松の御神木があり、津久井や神奈川へ通じる街道からよく見え道標になったことから、自然と「村富線」と呼ばれるようになったとも言われています。
現在、御鎮座350年記念事業の拝殿修繕工事が行われていますが、通常通り参拝できます。
御朱印は亀ヶ池八幡宮で拝受できます。
一の鳥居と社名塔
手水舎
参道
二の鳥居
村社碑と説明看板
手水舎(2つ目)
白狐
令和5年内に完了予定との事でしたが、まだ工事中でした。
本殿
神楽殿
礼舎
祖神社(相模屋助右衛門大人命)
江戸の豪商であった相模屋助右衛門は、しばしばこの地で馬の荷を降ろし、しばらく逗留することもあったといいます。そこで「ここに宿場があれば旅人も助かるだろう」と考え、新田開発を決意。開発の成功を願い神社を建立しました。開発は無事進み、周辺は旅人の宿泊場所として利用されたといいます。
「立村三百年記念」
「平和記念碑」
「明治三十七年記念」
「名跡鎌倉街道見透之松」
かつてここに「見透しの松」と呼ばれる巨松がありましたが、大正15年(1926)に台風によって倒壊してしまったそうです。相模原民話伝説集に伝わる場所でもあり、息をとめて松の幹の周りを7周まわると白蛇が見えたといいます。松は根元が空洞となっており、大蛇のために空洞にお供えをする村人もいたそうです。
かつてここに「見透しの松」と呼ばれる巨松がありましたが、大正15年(1926)に台風によって倒壊してしまったそうです。相模原民話伝説集に伝わる場所でもあり、息をとめて松の幹の周りを7周まわると白蛇が見えたといいます。松は根元が空洞となっており、大蛇のために空洞にお供えをする村人もいたそうです。
「立村二百六十年記念碑」
山の神(大山咋命)
向かって左が蚕影様の祠、右が山神様の祠になります。
「大震災記念植樹」
「力くらべ石」
八坂社
御輿庫および獅子堂
三の鳥居
扁額
少しですが咲いていました✿
「仲好地蔵尊」
三の鳥居横の端のほうにひっそりと祀られていました。小さい六地蔵様が可愛らしいです。
三の鳥居横の端のほうにひっそりと祀られていました。小さい六地蔵様が可愛らしいです。
「地蔵堂」
脇参道の入口にあります。ちなみに、こちらの地蔵堂の正面に駐車場があります。
脇参道の入口にあります。ちなみに、こちらの地蔵堂の正面に駐車場があります。
「龍神様」
こちらも脇参道にあります。龍神道祖神、馬頭観世音、金神、水神などの石碑がありました。
こちらも脇参道にあります。龍神道祖神、馬頭観世音、金神、水神などの石碑がありました。
工事はもう少しかかりそうですね。
「地神塔」
一の鳥居を入ってすぐ横に鎮座されています。
一の鳥居を入ってすぐ横に鎮座されています。
「相模原市保存樹木のマツ」
一の鳥居前にあります。御神木といわれてもおかしくないくらい、とても立派でした。
一の鳥居前にあります。御神木といわれてもおかしくないくらい、とても立派でした。
すてき
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ひなぎく516投稿
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