こうやまじんじゃ
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楽しみ方神山神社のお参りの記録一覧

久野にある神山(こうやま)神社にお参りしました。ご祭神は伊弉諾尊、伊奘冉尊、天照大日孁神になります。かつては「神山権現社」と呼ばれ、北条氏統治の時代には松原神社につぐ大社でお祭りも盛大であったと伝わっています。
境内の由緒書きによれば永延2年(988)の創建で、諸説あるようですが久野の坊所村の山中から現在地に移ってきたといいます。
新編相模国風土記稿には、神山村(現在の松田町神山)の、飯盛山の山頂にある一本の巨松に、伊弉諾・伊奘冉・大日孁の三神を祀る社があり、これが久野に鎮座する神山権現社のことで旧地だと記載されています。
風土記稿が正しければ、飯盛山→坊所→現在地と遷座してきたのかな?現在の松田町にも神山神社がありますが、ご祭神が誉田別命で、古い社であるとしか記載がなく関連があるのかはわかりませんでした。
坊所村に鎮座していた頃は、神山修験の祭神として信仰されていたとの説もあるようです。というのも、神社旧地の下にある「坊所」と「溜場」という地名は、お坊さんの所在地(坊所)、一般人を留めて入山を許さない(お溜め場)という意味で、権現に関するところから生まれた地名というのです。
しかし、神山権現社が修験道と関係を持っていたのは応永の始め(由緒にある兵火で焼け落ちる少し前)までで、隣接する三竹山の御嶽権現が衰退したことに影響があると思われます。
そして同時期に、曹洞宗 大雄山最乗寺が、とって代わるように出現してきたことも何か関わりがあるのではと推察されています。(参考∶小田原史跡めぐり)
神社は、大永4年(1524)に北条氏綱により社殿が改修されました。また、天正18年(1590)の小田原合戦の際に神主の窪倉中務正広は、戦火を逃れるために神社の宝物類を携えて逃げる途中に亡くなり、神社はこれまでの繁栄を失ってしまったといわれています。
境内には、神社関係者が戦前旧日本海軍から譲り受けたとみられる魚雷があります。

神山神社は、小田原三大明神(松原神社・居神神社・大稲荷神社)につぐ重要な神社なので、ぜひお参りして下さいとお勧めいただきました。














一角に戦争関連の碑や魚雷があります。


『魚雷』
全長5.2メートル直径45センチ、明治44年制式と推定される。

『忠霊塔』
大東亜戦争における戦没者110柱の慰霊顕彰

『神楽殿と神輿小屋』
2016年3月2日、神社内で不審火が原因とされる火災により、神輿小屋と神輿が一部の装飾を残し全焼。隣接していた神楽殿も3分の1が焼失。神社総代や自治会長が中心となり神輿再建委員会を設立し、再建されたそうです。
光が入ってしまい写真が見づらくてすいません😢


以前参拝した大稲荷神社の兼務社です。流石に箱根湯本付近は大渋滞、外人観光客も多く見られました。以前は久野坊所村山中に鎮座しており、兵火により焼け落ちましたその際御幣が舞い上がり、松田町の神山と現在地に落ち遷座したとの伝説があります。更に応永23年(1416)、上杉禅秀の乱により焼失、大永4年(1524)北条氏綱により改修されました。歴史が古く何度も災難に逢いましたが、現在は神職が常駐しない神社となっています。大稲荷神社の兼務社となっているため、今回は参拝のみになります。

社号標

一の鳥居

由緒書

石段

双体道祖神

灯籠

手水舎

手水鉢

石段


二の鳥居

灯籠

狛犬


拝殿

扁額

本殿


御神木

忠霊塔

戦没者碑

国産初の魚雷


魚雷由来書

忠魂碑
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