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深見神社ではいただけません
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深見神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月17日(月)
参拝:2021年4月吉日
深見神社は、神奈川県大和市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
『総国風土記』によると、創建は雄略天皇22年(478年)で、当社の主祭神は闇龗神(くらおかみ)との記載がある。ただ何らかの経緯で闇龗神は祭神から外れ、境内社・御倉稲荷神社の祭神となっている。社伝では、東国平定の武甕槌神(たけみかづち)が舟師を率いて常陸鹿島より深海(当地;当時は相模湾岸)に進軍し、伊弉諾(いざなぎ)の御子である倉稲魂神(うかのみたま)と闇龗神が当地を治め美田を拓いたとしている。つまり主祭神は武甕槌神とし、事実江戸時代までは「鹿島社」と文献に記述された。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国高座郡 深見神社」に比定される。
古来、地元土民の信仰を受けてきたが、源頼朝、小田原北条氏、武田信玄、太田道灌など武家からも崇敬を受けた。徳川幕府の旗本・坂本重安は大坂の陣の折の武運長久を祈願し田を寄進したが、「鹿島田」として今に残っている。爾後坂本家は当地の領主となり、重安の養子で寺社奉行までなった坂本重治は、当社社殿を造営し、「相模國十三座之内深見神社」と記した社号標を建てている。
明治時代に入り郷社に列したが、1876年の火災により、社殿や古文書がすべて焼失、公称社格も不詳となる。1909年に末社の諏訪神社と合併、祭神の「建御名方神」を当社に同列で合祀(相殿)、66年後の1941年に現在地に社殿等が再建され、郷社に復帰した。2012年に境内社・御倉稲荷神社の祭神であり、延喜式神名帳に搭載される闇龗神を、本殿に合祀した。
当社は、相鉄本線・相模駅、小田急江ノ島線・相模駅、の東方1kmの、相鉄線の線路沿いの住宅街にある。境内は木々に囲まれ本社社殿と摂末社数社の、郷社クラスの広さ。木々を切り落とした広い駐車場を合わせるとけっこう広い。
今回は、相模国の式内社の1つということで参拝することに。参拝時は週末の午前9時ごろで、境内は清掃の真っ最中、他の参拝客はちらほら程度だった。
『総国風土記』によると、創建は雄略天皇22年(478年)で、当社の主祭神は闇龗神(くらおかみ)との記載がある。ただ何らかの経緯で闇龗神は祭神から外れ、境内社・御倉稲荷神社の祭神となっている。社伝では、東国平定の武甕槌神(たけみかづち)が舟師を率いて常陸鹿島より深海(当地;当時は相模湾岸)に進軍し、伊弉諾(いざなぎ)の御子である倉稲魂神(うかのみたま)と闇龗神が当地を治め美田を拓いたとしている。つまり主祭神は武甕槌神とし、事実江戸時代までは「鹿島社」と文献に記述された。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「相模国高座郡 深見神社」に比定される。
古来、地元土民の信仰を受けてきたが、源頼朝、小田原北条氏、武田信玄、太田道灌など武家からも崇敬を受けた。徳川幕府の旗本・坂本重安は大坂の陣の折の武運長久を祈願し田を寄進したが、「鹿島田」として今に残っている。爾後坂本家は当地の領主となり、重安の養子で寺社奉行までなった坂本重治は、当社社殿を造営し、「相模國十三座之内深見神社」と記した社号標を建てている。
明治時代に入り郷社に列したが、1876年の火災により、社殿や古文書がすべて焼失、公称社格も不詳となる。1909年に末社の諏訪神社と合併、祭神の「建御名方神」を当社に同列で合祀(相殿)、66年後の1941年に現在地に社殿等が再建され、郷社に復帰した。2012年に境内社・御倉稲荷神社の祭神であり、延喜式神名帳に搭載される闇龗神を、本殿に合祀した。
当社は、相鉄本線・相模駅、小田急江ノ島線・相模駅、の東方1kmの、相鉄線の線路沿いの住宅街にある。境内は木々に囲まれ本社社殿と摂末社数社の、郷社クラスの広さ。木々を切り落とした広い駐車場を合わせるとけっこう広い。
今回は、相模国の式内社の1つということで参拝することに。参拝時は週末の午前9時ごろで、境内は清掃の真っ最中、他の参拝客はちらほら程度だった。
境内の西側にある<鳥居>と<社号標>。写真左側は境内、右側は広い駐車場。
鳥居くぐって進むと左手に境内入口。
境内入ってすぐ左手に<手水舎>。
境内中央には何もない配置で、広々として清々しい。
拝殿正面。社殿は1941年に再建されているが、2012年にも改修されているのか、木材部分の見た目が新しい。美しい彫刻も目を引く。
拝殿の扁額。変わった字体で面白い。
社殿全景。銅板葺屋根と木材の色合いが美しい。
拝殿後方の本殿。綺麗に改修されている。
社殿左脇に建つ、御神木の<ハルニレ>の巨木。推定樹齢400年、樹高30m、幹回り4m。かつて樹種が分からなかったため「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれ親しまれた。<かながわの名木100選>に選定されている。
御神木の左隣にある<靖國社>。別名<厚木空神社>。戦時中の1944年に厚木海軍飛行場敷地内で創祀され、厚木航空隊の戦死者を祀っていたが、戦後当社地に移転した。
神社の隣にある<御倉稲荷神社>の鳥居。倉稲魂神(うかのみたま)を祀る。
<御倉稲荷神社>の社殿。近年まで、延喜式神名帳に記載されていた<闇龗神(くらおかみ)>も祀られていたが、本殿に合祀された。
拝殿の右手にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の右奥は斜面になっていて、一段低い街が見える。
社務所からの眺め。本社は南向き、境内社は東向きに建っている。
境内西側の鳥居、駐車場の近くにぽつんと離れて建っている<富澤稲荷神社>。深見で製糸会社を開設した富澤家所縁の稲荷社とのこと。
境内北西端の鳥居近くにある、寺社奉行・坂本重治奉納の<社号標>。寛政3年(1791年)の銘。
すてき
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惣一郎1269投稿
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