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楽しみ方座間神社のお参りの記録(14回目)
投稿日:2025年05月18日(日) 15時42分54秒
参拝:2025年4月吉日
古くから「相模の飯綱様」と親しまれる座間神社。
座間神社という名称が使われるようになったのは明治8年の頃からで、それ以前は飯縄権現社と称していました。第29代欽明天皇の御代(531〜571)に、この地に湧いた泉水を神水とあがめて飯綱権現を奉祀したところ疫病が平癒したという故事にちなみます。
皇国地誌村誌によれば、座間神社は「泉水山」に鎮座し、その下には「上の池」と「下の池」という2つの泉がありました。
そこから堀を掘って宗仲寺の前の方へ導き、十数軒の家がその水を利用して井戸もなしで生活できたといいます。
関東大震災後に水量が大幅に減少してしまい、さらに陸軍士官学校の移転により台上が急速に開発されたことに伴い、まず下の池の湧き出が止まり、上の池も著しく減水しました。
現在、下の池は道路新設により埋め立てられていてその痕跡はわからないそうです。
上の池は入口に注連縄が張られ「神社信仰発祥の地」の立札があったとのことなので、現在の御神水が上の池の湧き出元になるということでいいのかな🤔
4月の月参りで上がりましたが、御朱印受付け時間までに間に合わずでした😭
前鳥神社で天気が急変し、傘を持っていなかったので慌てて本厚木行きのバスに乗ったのですが、結構時間かかりました💦平塚駅へ戻った方が早かったかなぁ…
(参考)
・座間の語り伝え〔11〕
・座間の湧水
座間神社という名称が使われるようになったのは明治8年の頃からで、それ以前は飯縄権現社と称していました。第29代欽明天皇の御代(531〜571)に、この地に湧いた泉水を神水とあがめて飯綱権現を奉祀したところ疫病が平癒したという故事にちなみます。
皇国地誌村誌によれば、座間神社は「泉水山」に鎮座し、その下には「上の池」と「下の池」という2つの泉がありました。
そこから堀を掘って宗仲寺の前の方へ導き、十数軒の家がその水を利用して井戸もなしで生活できたといいます。
関東大震災後に水量が大幅に減少してしまい、さらに陸軍士官学校の移転により台上が急速に開発されたことに伴い、まず下の池の湧き出が止まり、上の池も著しく減水しました。
現在、下の池は道路新設により埋め立てられていてその痕跡はわからないそうです。
上の池は入口に注連縄が張られ「神社信仰発祥の地」の立札があったとのことなので、現在の御神水が上の池の湧き出元になるということでいいのかな🤔
4月の月参りで上がりましたが、御朱印受付け時間までに間に合わずでした😭
前鳥神社で天気が急変し、傘を持っていなかったので慌てて本厚木行きのバスに乗ったのですが、結構時間かかりました💦平塚駅へ戻った方が早かったかなぁ…
(参考)
・座間の語り伝え〔11〕
・座間の湧水
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく823投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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