はなおじんじゃ
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花尾神社ではいただけません
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花尾神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月07日(日)
参拝:2024年1月吉日
皆さん、明けましておめでとうございます!
2024年はかなり出遅れましたが、今年最初の投稿になります。
今年の正月は鹿児島で迎えたため、初詣は花尾神社さんにお参りしてきました。
大きな神社ではありませんが、毎年三が日は多くの参拝者で賑わいます。
私も今回花尾神社さんへの初詣は3回目となるのですが、例年以上に多くの方がいらっしゃったように感じました。
薩摩藩の歴代藩主を務めてきた島津家。
その島津家の家祖である島津忠久が薩摩・日光・大隅三州の守護職に任命されて下向した建保6年(1218年)に花尾山の南麓に御堂を建て、源頼朝の尊像を安置したのが始まりと言われているそうです。
なぜ源頼朝?かというと、島津忠久公の父が源頼朝だからですね。
さらに母は丹後局なのですが、遺言によりこの地に葬られ、参道横には丹後局の御墓もあります。
社号標には「さつま日光」の文字が刻まれています。
これは正徳3年(1713年)に建立された現在の社殿の格子天井に401枚の草花の絵が極彩色で描かれていて、華麗な権現造の社殿が日光東照宮に似ていることから「さつま日光」と呼ばれているそうです。
<御祭神>
源頼朝公 丹後局 清和天皇 永金阿闍梨
2024年はかなり出遅れましたが、今年最初の投稿になります。
今年の正月は鹿児島で迎えたため、初詣は花尾神社さんにお参りしてきました。
大きな神社ではありませんが、毎年三が日は多くの参拝者で賑わいます。
私も今回花尾神社さんへの初詣は3回目となるのですが、例年以上に多くの方がいらっしゃったように感じました。
薩摩藩の歴代藩主を務めてきた島津家。
その島津家の家祖である島津忠久が薩摩・日光・大隅三州の守護職に任命されて下向した建保6年(1218年)に花尾山の南麓に御堂を建て、源頼朝の尊像を安置したのが始まりと言われているそうです。
なぜ源頼朝?かというと、島津忠久公の父が源頼朝だからですね。
さらに母は丹後局なのですが、遺言によりこの地に葬られ、参道横には丹後局の御墓もあります。
社号標には「さつま日光」の文字が刻まれています。
これは正徳3年(1713年)に建立された現在の社殿の格子天井に401枚の草花の絵が極彩色で描かれていて、華麗な権現造の社殿が日光東照宮に似ていることから「さつま日光」と呼ばれているそうです。
<御祭神>
源頼朝公 丹後局 清和天皇 永金阿闍梨
とてものどかな感じの地域です
社号標
30分以上並びました😅
社殿の装飾が徐々に見えてきました
注連縄の紙垂が木漏れ日を反射して、なんとなく神々しい感じ
格子天井の天井画
手水
社殿横の稲荷大明神と春日大明神
丹後局の御墓はこの上にあるのですが、駐車場はこの先だったため御墓には行けず。。
すてき
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