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惣一郎
2023年03月19日(日)
1269投稿

【大隅國 式内社巡り】

大穴持神社(おおなむぢ~)は、鹿児島県霧島市国分広瀬にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は大己貴命、相殿神は少彦名命、大歳神、住吉大神、霧島大神。通称は「おなんぢさあ」。

創建は不詳。社伝によると奈良時代の天平年間の創建とする。『続日本紀』では、764年条で大隅國・薩摩国境での噴火により新島が出現したが、778年条で新島を造ったのは「大穴持神」で官社にしたとの記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「大隅國 囎唹郡 大穴持神社 小」に比定されている。中世、近世においては、当地御家人が神主大宮司を担って存続したとの史料がある。明治時代に入り近代社格制度のもと県社に列格した。

当社は、JR日豊本線・国分駅の南方4kmほどの、錦江湾の内陸を通る国道504号線沿いの平地にある。境内はそこそこ広く、社殿周り以外は草木は多め。鮮やかな塗装の社殿はコンパクトサイズで、周りに5つの境内社を従えているが、その境内社の配置は江戸時代に描かれた『三国名勝図会』と同じというからすごい。

今回は、大隅國の式内社、鹿児島県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、家族連れや夫婦連れ、近所の子供の軍団など、いろんな人たちが参拝に訪れていた。

大穴持神社(鹿児島県)

境内南端入口の<社号標>。

大穴持神社(鹿児島県)

参道を進んだ、少し奥まったところにある<鳥居>。

大穴持神社(鹿児島県)

参道の左手にある<手水舎>。

大穴持神社(鹿児島県)

<拝殿>全景。大きくはないが、ビビッドな色合いで、見た目にインパクトがある。

大穴持神社の本殿

<拝殿>正面。賽銭箱が奥にあるので、靴を脱いで昇殿参拝する形。

大穴持神社(鹿児島県)

拝殿の左手に建つ3つの境内社。左から順に<大王社(八重事代主命)>、<大田社(猿田比古命)>、<月天社(月讀命)>。
江戸時代から境内社の配置が変わらないらしい。(;゚Д゚)

大穴持神社(鹿児島県)

3つの境内社の背後にある<社務所>。御朱印は(おそらく)こちら。
参拝時は電気はついているが無人のようで御朱印は拝受できず。涙

大穴持神社の建物その他

手水舎の後ろ、社務所の横にある<日清日露 戦役紀念碑>。

大穴持神社(鹿児島県)

拝殿後ろの<本殿>。サッシを使った覆屋だが、拝殿と同じく極彩色なので馴染んでいる。

大穴持神社(鹿児島県)

右が<稲荷社(大宜都比賣命)>、左が<日天社(天照大日孁命)>。

大穴持神社(鹿児島県)

社殿の奥の林の中に立つ<石製祠>。社名は不明。

大穴持神社(鹿児島県)

境内東側の奥に立つ<忠魂碑>。簡素だがちゃんと鳥居と参道が付いている。

大穴持神社(鹿児島県)

こちらは、社殿の右手の林の中に立つ<堤防復旧記念碑>。
大正時代の1914年に桜島が大爆発して海岸の堤防が決壊、当社南方の小村新田に海水が侵入し大きな被害をもたらした。その3年後の1917年に復旧が完了している。

大穴持神社の建物その他

こちらも、社殿の右手の林の中に立つ<堤塘竣工記念碑>。
昭和戦後の1951年秋のルース台風により海岸の堤防が決壊、当社南方の小村新田に海水が侵入し大きな被害をもたらした。その3年後の1954年に復旧が完了している。

大穴持神社(鹿児島県)

最後に、<社殿>全景。サイズとしてはこぢんまりとしているが、鮮やかな彩色で強く印象に残る。(^▽^)/

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神祇伯
2020年04月22日(水)
1339投稿

大隅国曽於郡の式内社です。式内社の中でも大己貴命さまを祭神とする神社は数多く見られますが、祭神名をそのまま社名としている数少ない例の一つです。
ちなみに筑前国には同名異字の大己貴神社があります。

大穴持神社の鳥居

《鳥居と社号碑》

大穴持神社の歴史

《由緒書き》
マムシ除け…?医療の神さますげぇな。
授与品にも蛇除けのものがありました。

大穴持神社の本殿

《拝殿》
☆チェックポイント!!
式内社の中でもたびたびお見かけする大己貴命さまですが、この神社が九州最南に鎮座しており、大己貴命さまの九州での伝承の広がりを示す神社として挙げられます。

大穴持神社の建物その他

《拝殿内部》
中に賽銭箱があるので、入室して参拝します。

大穴持神社の末社

《末社群》

大穴持神社の建物その他

《お塚?》

大穴持神社の末社

《末社…?》
なんか祠っぽいですね。古そう。

大穴持神社の建物その他

《忠魂碑》

大穴持神社の本殿

神社の左手に授与所があり、無人であればその奥に社務所があります。

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歴史

創建年月は不詳であるが、延喜式内社の一社で、神明帳に「大隅国囎唹郡大穴持神社」とあるのは当社のことである。

国分諸古記によると、大己貴命は昔奥州津軽山に鎮座されていたが、西国に守護神が少ない故に勅命を以て西国の鎮守として下向された。常陸国の橘氏、宮永氏四人の兄弟、岩元氏の一族等一行二十五人で神輿の前後を守護し、奥州水の渡、津軽山より負い下って日向の串島にお着きになり福山迄来られたが、よい舟がなく敷根迄道を作って(神割坂)おいでになり、敷根から舟で大隅国福瀬の渡に着船、そこで福島村にお仮屋を作られ、その後小村(今の広瀬)に本宮をお作りになったとある。

大己貴命が農道を歩いておられる時、犢牛(コッテ牛-雄牛のこと)が突進して来たので、麻畑に遁れたところその麻畑にいた蝮に咬みつかれたとのこと。その為命が犢牛と麻と蝮を嫌われるので、広瀬では犢牛を飼ったり麻を植えたりすると家が栄えないといわれ、昔からこの集落には馬は多数飼われていたが牛を飼う人は殆どいなかったと云われる。又此の集落を中心に、天降川と検校川の間には蝮が生息しないを云われている。名前を沢山お持ちの神で、医薬・温泉・醸造・武運・開運招福・交通安全・病気除け・厄除け・縁結び・安産・家内安全の神として知られ、現在は広瀬集落の氏神として崇敬篤く、殊に古来蝮除けの神として郡内始め県下各地からの参拝者が多数ある。

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大穴持神社の基本情報

住所鹿児島県霧島市国分広瀬3-1098
行き方
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名称大穴持神社
読み方おおなむぢじんじゃ
通称おなんじさあ
参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神《主》大己貴命,《配》少彦名命,大歳神《合》霧島大神,
本殿三間社流造
ご由緒

創建年月は不詳であるが、延喜式内社の一社で、神明帳に「大隅国囎唹郡大穴持神社」とあるのは当社のことである。

国分諸古記によると、大己貴命は昔奥州津軽山に鎮座されていたが、西国に守護神が少ない故に勅命を以て西国の鎮守として下向された。常陸国の橘氏、宮永氏四人の兄弟、岩元氏の一族等一行二十五人で神輿の前後を守護し、奥州水の渡、津軽山より負い下って日向の串島にお着きになり福山迄来られたが、よい舟がなく敷根迄道を作って(神割坂)おいでになり、敷根から舟で大隅国福瀬の渡に着船、そこで福島村にお仮屋を作られ、その後小村(今の広瀬)に本宮をお作りになったとある。

大己貴命が農道を歩いておられる時、犢牛(コッテ牛-雄牛のこと)が突進して来たので、麻畑に遁れたところその麻畑にいた蝮に咬みつかれたとのこと。その為命が犢牛と麻と蝮を嫌われるので、広瀬では犢牛を飼ったり麻を植えたりすると家が栄えないといわれ、昔からこの集落には馬は多数飼われていたが牛を飼う人は殆どいなかったと云われる。又此の集落を中心に、天降川と検校川の間には蝮が生息しないを云われている。名前を沢山お持ちの神で、医薬・温泉・醸造・武運・開運招福・交通安全・病気除け・厄除け・縁結び・安産・家内安全の神として知られ、現在は広瀬集落の氏神として崇敬篤く、殊に古来蝮除けの神として郡内始め県下各地からの参拝者が多数ある。

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