わけじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
和気神社について
和気清麻呂公流謫の地。
境内には白イノシシの”和気ちゃん”がいます。近くに名勝「犬飼滝」、
和気公園には藤の木が約100本あり、4月中旬~5月始めには「藤まつり」があります。
おすすめの投稿

毎年4~5月には藤まつりに多くの方が訪れる神社です。
今回初めて参拝させていただきました。
まずとても広い駐車場にビックリ!
冒頭にも書いた藤まつりに大勢の方が来られるそうで、駐車場の大きさにも納得です。
そして、車を停めまず最初に目につくのが大きな絵馬。
猪の和気清麻呂公が描かれています。
和気清麻呂公は、天平5年(733年)に備前の国(岡山県和気郡)の生誕で、奈良の都で武官として出仕、近衛将監となります。
神護景雲3年(769年)、「僧侶・道鏡を天皇にすれば、天下は太平になる」という大分・宇佐八幡宮のご神託として朝廷に伝えられました。
この神託を確認するため称徳天皇は清麻呂公を宇佐八幡宮に向かわせ、事実を確認させました。
すると、「わが国は初めから君臣の分が定まっている。道にはずれた者は速やかに排除せよ」という神託を得て、これを奏上したことで道鏡の野望を阻んだ。
そのため道鏡は激怒し、道鏡に肩入れしていた称徳天皇は、清麻呂公を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という不名誉な名前に改名させ、さらに大隅国へ流刑に処せられました。
道鏡は、大隅国へ向かう途中の清麻呂公を暗殺しようとしますが、300頭もの猪が現れて清麻呂公の周りを守ったそうです。
清麻呂公は宇佐八幡宮に向かう前に、道鏡から天皇に即位した際には清麻呂公を大臣の位を与えるといわれていたそうです。
しかし清麻呂公は「世の中の人がどうあっても、自分ひとりだけは天地の澄みきった心に照らして恥じることのないように、また自粛自戒を心がけ、謙虚に正しい道を歩もうという気持ちから、
『我独慙天地』という書を残しているそうです。
御朱印にもこの言葉が記されていました。

大絵馬
縦8.3m 横12.5m


手水


狛犬ではなく一対の霊猪


拝殿

本殿






こちらで飼育されていた白猪の和気ちゃんですが、令和4年12月に亡くなったそうです。



そしてこの地は坂本龍馬とお龍の新婚旅行の地

御朱印は全部で3種類
全て書置きです

御朱印帳袋もとてもきれいでした

和気清麻呂公生誕の地、岡山県和気町から寄贈された藤が4~5月にかけて咲き誇るそうです。



砂ずりの藤と神猪💜🤍🐗🤍💜
子供時分に紫原に住んでいたことがあり
父親に数回見に連れて行って貰った
思い出の和気神社様です。
今回友達と強行日程でお参りすることが
できてとても嬉しかったです。
淋しい〜🤍🩵💜
境内では白い猪の「あいちゃん」と
「和気(わけ)ちゃん」が飼われていましたが、
あいちゃんは平成23年に、
わけちゃんは令和4年に亡くなったそうです。
和気神社(わけじんじゃ)
主祭神 和気清麻呂公命
創建 昭和21年(1946年)
例祭日 5月6日(祭祀)
主神事 亥の子祭(11月第3日曜日)
和気清麻呂守護神 神猪🐗
猪大絵馬
今から千二百余年前の奈良時代、
神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮神託事件
に関連して大隅国へ遠島•道鏡に都を追われた
和気清麻呂公は、再び都に呼び戻されるまでの
日々を、この周辺で過ごしたと伝えられています。その和気清麻呂公を祭った神社で
交通安全、学問、建築の神として
御利益があるといわれています。
近くに清麻呂公が入ったといわれる温泉
「和気の湯」があり、浴後、腰掛けられた
という腰掛石も残っています。
また、坂本龍馬夫妻が新婚旅行で
この地を訪れたことを記念する碑があります。
和気神社の隣にある霧島市立の和気公園では、
4月中旬から5月初旬にかけて
色鮮やかな美しい藤の花を咲かせます。
〜かごしまの旅 より〜
我独慙天地
嘉永6年(1853年)
鹿児島藩第11代藩主 島津斉彬公
日向国 大隅国
📍 鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3986 💜🤍💜















授与品
授与品をもっと見る|境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
清麻呂公は宇佐八幡神託の一件により僧道鏡の皇位継承を阻止したが、神護景雲三年大隅に流された。嘉永六年二十八代藩主島津斉彬公は、大隅日向諸郷巡視の折り犬飼附近に駕を駐め、八田知紀に命じて和気公遺跡を精査し、史実確認の上下中津川犬飼の現在地を公の遺跡地と確認された。滝の下流に縁りの和気湯、腰掛石がある。
明治維新以降清麻呂公の精忠の思想は世に浮上し、公関係遺跡地七ヶ所に記念碑も建ち、皇紀二千六百年を機に神社建立の気運が昂まり、昭和十二年四月地元有志の浄財により和気祠堂が建立された。昭和十四年和気清麻呂公精忠顕彰会が発足し、県議会の議決、県知事の承認を経て、同十七年五月六日県社和気神社創立の件が内務省神祇院より許可され、同十八年二月十一日地鎮祭を執行し建設を進め、大東亜戦争敗戦後の昭和二十一年三月十七日辛うじて鎮祭奉祀した。しかし国の管理を離れ、民心は混乱急変し、社会の関心も地に堕ち、管理不能状態が三十有余年続いて社殿の荒廃は極限に達した。
昭和五十四年四月和気神社復興奉賛会が発足、県下一円に亘り大々的に募金が行われ、会務は順調に進行していたが中断した。同五十七年六月二日、社殿屋根の仮補修が完成、社殿の腐朽により雨漏りが甚だしく桧皮葺をカラートタン葺に応急補修した。神社の窮状観るに忍びずと、昭和六十一年四月十日和気神社崇敬会が地元有志者により発足し、境内整備、管理運営上の絶大な力となって現在に至っている。
歴史をもっと見る|| 名称 | 和気神社 |
|---|---|
| 読み方 | わけじんじゃ |
| 参拝にかかる時間 | 10分 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0995‐77‐2885 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 正一位護王大明神(和気清麻呂公)(ショウイチイゴオウダイミョウジン(ワケノキヨマロコウ)) |
|---|---|
| ご由緒 | 清麻呂公は宇佐八幡神託の一件により僧道鏡の皇位継承を阻止したが、神護景雲三年大隅に流された。嘉永六年二十八代藩主島津斉彬公は、大隅日向諸郷巡視の折り犬飼附近に駕を駐め、八田知紀に命じて和気公遺跡を精査し、史実確認の上下中津川犬飼の現在地を公の遺跡地と確認された。滝の下流に縁りの和気湯、腰掛石がある。 明治維新以降清麻呂公の精忠の思想は世に浮上し、公関係遺跡地七ヶ所に記念碑も建ち、皇紀二千六百年を機に神社建立の気運が昂まり、昭和十二年四月地元有志の浄財により和気祠堂が建立された。昭和十四年和気清麻呂公精忠顕彰会が発足し、県議会の議決、県知事の承認を経て、同十七年五月六日県社和気神社創立の件が内務省神祇院より許可され、同十八年二月十一日地鎮祭を執行し建設を進め、大東亜戦争敗戦後の昭和二十一年三月十七日辛うじて鎮祭奉祀した。しかし国の管理を離れ、民心は混乱急変し、社会の関心も地に堕ち、管理不能状態が三十有余年続いて社殿の荒廃は極限に達した。 昭和五十四年四月和気神社復興奉賛会が発足、県下一円に亘り大々的に募金が行われ、会務は順調に進行していたが中断した。同五十七年六月二日、社殿屋根の仮補修が完成、社殿の腐朽により雨漏りが甚だしく桧皮葺をカラートタン葺に応急補修した。神社の窮状観るに忍びずと、昭和六十一年四月十日和気神社崇敬会が地元有志者により発足し、境内整備、管理運営上の絶大な力となって現在に至っている。 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
和気神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






















2
0