かごしまけんごこくじんじゃ
鹿児島縣護國神社のお参りの記録一覧
7/31のみたま祭を楽しみにしていたので
ようやく参拝できた
この日は神楽や津軽三味線の演奏があり
神社外の道路もお祭り感
御朱印も夜の時間帯に頂けてよき日でした
直書き500円
友達と同時にお願いしたら
明治天皇の御言葉がそれぞれ違って
驚いて感動
みたま祭の日
神楽
みたま祭
津軽三味線
ライトアップ
お祭り
賑わい
灯篭
鹿児島県には過去何度も訪れていますが、護國神社は初めての参拝でした。
まず真っ黒な鳥居に圧倒されます。
次に参道右手の手水舎には創建のあらましや歴史などが詳細に書かれていて、思わず読みふけってしまいました。
どこの護國神社もそうですが、整然としていて凛とした雰囲気が漂っていました。
<御由緒>~鹿児島縣護國神社HPより~
鹿児島縣護國神社は、幕末期から現在に至るまでに尊い生命を祖国の為に捧げられた本県出身者の御英霊七万七千余柱をお祀りしています。
明治元年、戊辰の役において戦功の大きかった薩摩藩の戦死者の忠魂を永久にお祀りせよとの明治天皇様の思召しにより、朝廷より金五百両を賜り、山之口馬場町に靖献霊社(いさたまれいしゃ)という神社を建立したのが始まりです。このような趣旨に基づいて全国の護国神社に先駆けて建立された当神社は『護國の神、平和繁栄の神』として、多くの方々に親しまれ崇敬されています。
真っ黒な鳥居がかっこいい!
手水舎
手水舎には鹿児島縣護國神社に関わる歴史等詳細に書かれていました
拝殿
拝殿内
御神籤もいろいろありました
厄落とし絵馬かな?
と、ここで神前結婚式が始まりました。
鹿児島縣護國神社HPのTOPに神前式の映像が流れていますが、まさしく同じような感じでした。
【全国護国神社巡り】
鹿児島県護国神社(かごしまけん・ごこく~)は、鹿児島県鹿児島市草牟田にある神社。旧内務省指定護国神社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は明治維新以降の国事に殉じた鹿児島県出身者等77,000柱余。
明治時代の1868年、明神天皇から与えられた鳥羽伏見の戦いの戦死者を祀るための金500両により創建された靖献霊社(いさたまれいしゃ)に始まる。1875年に鹿児島招魂社に改称、1939年に鹿児島県護国神社に改称した。昭和戦後に一時「薩隅頌徳(さつぐうしょうとく)神社」に改称したが、1951年に旧称に復した。
当社は、JR日豊本線・鹿児島駅の北西2kmの、市街地の中の小丘の南西麓にある。境内は広々としていて、樹木が少なくて明るく、壁や仕切りがないので開放的な造り。境内入口から十数段の階段を登った後は、社殿までまっすぐ幅の広い参道が伸びている、護國神社らしい堂々たる造り。
今回は、内務省指定護国神社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、初詣には遅い日の、遅い時間であったにもかかわらず、多くの参拝者で境内は賑わっていた。
境内西端入口から十数段の階段を登ったところからの眺め。入口には社号標のみがある。
参道左側の立派な<手水舎>。
参道進んで<鳥居>。大きな正月飾りが目を引く。
鳥居をくぐって右側に、またしても<手水舎>。先ほどの手水舎よりも大きい。
2番目の手水舎前から社殿方向を望む。
参道左側にある<社務所>。授与所はとても賑わっている。御朱印はこちら。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。護国神社では珍しく、神明造ではなく権現造。
<拝殿>正面。内部の上部に「護國神社」の扁額が掛かっている。昇段祈祷も大盛況。
拝殿の左側の建物。社務所ともつながっている構造みたい。
拝殿の右側の建物。表札には「儀式殿」と書かれている。
参道を少し戻って、参道右側にある<遺徳顕彰館>。希望すれば参観できる。
参道を少し戻って、参道右側にある<ああ特攻の像>と<母の像>。
最後に<社殿>全景。1月上旬であるとしても、こんなに人々で賑わっている護国神社は見たことがないかも~♪ (^▽^)/
御歌を書いていただける素敵な御朱印です。季節ごとに特別御朱印もいただけます。幕末から現在に至るまでの鹿児島県出身の御英霊7千余柱をお祀りしてある鹿児島縣護国神社に参拝させていただきました。
御朱印を書いていただきました。
季節の御朱印です。
季節の御朱印です。
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