御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
若宮神社ではいただけません
広告
若宮神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年09月24日(火)
参拝:2024年8月吉日
鹿児島五社詣りの一つ、鹿児島市池之上町に鎮座する若宮神社に参拝しました。
鳥居、社殿、手水舎、そして参道も赤く、とても印象に残る神社です。
鹿児島五社とは、島津氏が勧請したと言われる五社で、歴代の島津家から崇敬されてきました。
鹿児島五社詣りは以下となります。
一位:南方神社
二位:八坂神社
三位:稲荷神社
四位:春日神社
五位:若宮神社
さきほど投稿した鹿児島市清水町の八坂神社から徒歩でも10分かからない程度の距離になります。
実は今年の1月にも参拝させていただきましたが、今回は鹿児島五社詣りとしてお参りさせていただきました。
前回参拝時もそうでしたが、境内には猫がたくさんおり、とても安心しきった様子で参道端に寝ていたり、木陰で暑さをしのいだりしていて、思わず見ているこちらも笑顔になってしまいました。
若宮神社は女性の宮司様なのですが、御朱印を拝受したあと、鹿児島五社詣りの四位となる春日神社について尋ねたところ、春日神社の御朱印はないとのこと。
車を停めるスペースもないため、若宮神社さんの駐車場に車を停めさせていただき、歩いて春日神社へ参拝させていただきました。
快く車を停めさせていただき、有難うございました。
<御祭神>
応神天皇(譽田別尊) 仁徳天皇(大鷦鷯尊)
神功皇后(息長足姫尊) 玉依姫命(神武天皇母君)
天照皇大神 建速須佐之男命 瓊々杵尊 大国主命
<御由緒>~鹿児島県神社庁HPより~
人皇九十七代後村上天皇の御代延文二年(西暦1356年)に創建され若宮八幡宮と称し、鹿児島五社の一つに列する。島津家六代の氏久公は、鹿児島郷東福寺城(今の清水町多賀山)に居城を定め、敬神の念厚く大隈正八幡宮の三の神輿を勧請建立した。又十五代貴久公は、永禄六年に鶴岡八幡宮の分霊を勧請して合祀した。
島津家の守護神として代々の崇敬厚く、御家督に際しては当社に奉告され、御祭祀の際は正式行列参拝があり、造営修繕は藩費で行われ幾多の金品が奉納された。又神社の御神饌用として、神饌田拾五石取りを荒田村に献納され、此の地方を神田字と名付けられ現在もその地名が残っている。
旧藩時代は社寺奉行所が置かれ管理されていたが、明治初年廃藩置県で神社は国の管理下に置かれ、若宮八幡宮も明治六年郷社に列格した。
更に明治四十年六月十四日供進指定神社昇格した。創立より藩主を初め氏子民に鎮守の神として親しまれ、御祭神譽田別尊は韓国との国交を樹立され大陸文化を我が国に輸入し、政治経済学問を奨励さる。文化の守護神として崇敬厚し、また息長足姫尊は、安産の守護神として世人の崇敬の念深く子孫繁栄を祈り子供に親しみ深い。大鷦鷯尊は御慈悲深く国民生活の上に大御心を注がれ国民を哀れみ生活の向上に意を注がせ給う。
鳥居、社殿、手水舎、そして参道も赤く、とても印象に残る神社です。
鹿児島五社とは、島津氏が勧請したと言われる五社で、歴代の島津家から崇敬されてきました。
鹿児島五社詣りは以下となります。
一位:南方神社
二位:八坂神社
三位:稲荷神社
四位:春日神社
五位:若宮神社
さきほど投稿した鹿児島市清水町の八坂神社から徒歩でも10分かからない程度の距離になります。
実は今年の1月にも参拝させていただきましたが、今回は鹿児島五社詣りとしてお参りさせていただきました。
前回参拝時もそうでしたが、境内には猫がたくさんおり、とても安心しきった様子で参道端に寝ていたり、木陰で暑さをしのいだりしていて、思わず見ているこちらも笑顔になってしまいました。
若宮神社は女性の宮司様なのですが、御朱印を拝受したあと、鹿児島五社詣りの四位となる春日神社について尋ねたところ、春日神社の御朱印はないとのこと。
車を停めるスペースもないため、若宮神社さんの駐車場に車を停めさせていただき、歩いて春日神社へ参拝させていただきました。
快く車を停めさせていただき、有難うございました。
<御祭神>
応神天皇(譽田別尊) 仁徳天皇(大鷦鷯尊)
神功皇后(息長足姫尊) 玉依姫命(神武天皇母君)
天照皇大神 建速須佐之男命 瓊々杵尊 大国主命
<御由緒>~鹿児島県神社庁HPより~
人皇九十七代後村上天皇の御代延文二年(西暦1356年)に創建され若宮八幡宮と称し、鹿児島五社の一つに列する。島津家六代の氏久公は、鹿児島郷東福寺城(今の清水町多賀山)に居城を定め、敬神の念厚く大隈正八幡宮の三の神輿を勧請建立した。又十五代貴久公は、永禄六年に鶴岡八幡宮の分霊を勧請して合祀した。
島津家の守護神として代々の崇敬厚く、御家督に際しては当社に奉告され、御祭祀の際は正式行列参拝があり、造営修繕は藩費で行われ幾多の金品が奉納された。又神社の御神饌用として、神饌田拾五石取りを荒田村に献納され、此の地方を神田字と名付けられ現在もその地名が残っている。
旧藩時代は社寺奉行所が置かれ管理されていたが、明治初年廃藩置県で神社は国の管理下に置かれ、若宮八幡宮も明治六年郷社に列格した。
更に明治四十年六月十四日供進指定神社昇格した。創立より藩主を初め氏子民に鎮守の神として親しまれ、御祭神譽田別尊は韓国との国交を樹立され大陸文化を我が国に輸入し、政治経済学問を奨励さる。文化の守護神として崇敬厚し、また息長足姫尊は、安産の守護神として世人の崇敬の念深く子孫繁栄を祈り子供に親しみ深い。大鷦鷯尊は御慈悲深く国民生活の上に大御心を注がれ国民を哀れみ生活の向上に意を注がせ給う。
鳥居から社殿までまっすぐ続く参道も赤く塗られています
社殿も赤く・・・
手水舎も赤く・・・
相殿
天照皇大神 建速須佐之男命 瓊々杵尊 大国主命
天照皇大神 建速須佐之男命 瓊々杵尊 大国主命
不動舎とお地蔵さん
すぐ横を通っても逃げないくらいぐっすり・・・
すてき
みんなのコメント(3件)
龍巳隼人
きどっち様
コメントありがとう御座います。
現在は、岐阜県メインでホトカミさせて頂いております。
こちらは、学生の頃より受験や試験の時だけではなく、挫けそうな時、、、メンタル的堕ちてしまいそうな時にも、自身を鼓舞する時にも参拝させて頂いてます。
参考にして頂けそうな、参拝日記していきますので、よしなにお願い致します。
2024年09月24日(火)
龍巳隼人さん
コメント有難うございます。
私も子供の頃からなぜか神社は好きで、氏神様の神社にはちょくちょく行ってましたね。
御朱印に興味を持ったのはここ数年ですが😅
岐阜県はまだまだ行ってみたい寺社が沢山あるので、宜しくお願い致します😊
2024年09月24日(火)
是々非々共♫岐阜 愛知 三重と、
様々な土地風土、文化が入り交じるエリアですので、触れて頂けると幸いです。
九州エリアに、友人が居ますので伺いたいエリアです♫
きどっちさんの投稿、これからも楽しませて頂きますね♫
2024年09月25日(水)
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。