ながおじ
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長尾寺ではいただけません
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長尾寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月07日(木)
参拝:2024年2月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
高知県はちょっとしんどくなったので 香川県にシフトチェンジしました。
吉願の88番札所は 最終日にとっておいて 87番札所から巡りました。(せこい)
あいにくの天気だったので 山の上のお寺は 次回にキープすることにしました。
徳島県に入ってから高松自動車道で西に向かいます。
津田寒川ICで高速を降りて 地道を30分ほどだったと思います。
お寺の境内の一角が駐車場になっていましたので 車でのお参りはしやすいです。
山門(仁王門・鐘楼門)をくぐると くすのきが目に入ります。
香川県の保存木だそうで 20mほどに育っています。
境内は広く 土産物屋さんも境内に入っています。
雨天だったのですが 参拝者は多かったです。
山号は補陀洛山 院号は観音院 宗旨は天台宗 寺格は別格本山 ご本尊は聖観世音菩薩 創建年は(伝)天平11年(739年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あろりきゃ そわか
ご詠歌:あしびきの山鳥の尾の長尾寺(ながおでら) 秋の夜すがら御名(みな)をとなえよ
でした。
由緒については
寺伝によれば天平11年(739年)行基が当地で楊柳に霊夢を感じその木で聖観音菩薩像を刻み 堂宇に安置したのが始まりとされ その当時は法相宗とされた。
なお 寂本の『四国偏礼霊場記(1689年刊)』には 聖徳太子が創建し 本尊聖観音菩薩像は空海作で同時に阿弥陀如来を造り当寺を再興したとなっている。
空海(弘法大師)が渡唐前 入唐求法の成功を祈願し年頭七夜の護摩の秘法を修し その7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に投げ与えたとの伝説があり これは毎年1月7日の「大会陽福奪い」として今に伝わっている。
天長2年(825年)唐より帰朝した空海は大日経を一石に一字写経の万霊供養塔(現存せず)を建立し伽藍を整え真言宗に改宗した。
その後 幾度かの兵火により堂宇は失われたが 慶長年間(1596年 – 1615年)生駒氏によって再興 長尾観音寺と呼ばれる。
天和元年(1681年)には藩主松平頼常が堂塔を寄進 翌々年には讃岐七観音の随一とし 真言宗から天台宗に改宗される。
元禄6年(1693年)には寺領を賜り観音院長尾寺と改称する。
なお 静御前が源義経と別れた後 母の磯禅師と共に当寺を訪れ 得度したとの言い伝えもあり 静御前の位牌や剃髪塚が遺存する。
とありました。
高知県はちょっとしんどくなったので 香川県にシフトチェンジしました。
吉願の88番札所は 最終日にとっておいて 87番札所から巡りました。(せこい)
あいにくの天気だったので 山の上のお寺は 次回にキープすることにしました。
徳島県に入ってから高松自動車道で西に向かいます。
津田寒川ICで高速を降りて 地道を30分ほどだったと思います。
お寺の境内の一角が駐車場になっていましたので 車でのお参りはしやすいです。
山門(仁王門・鐘楼門)をくぐると くすのきが目に入ります。
香川県の保存木だそうで 20mほどに育っています。
境内は広く 土産物屋さんも境内に入っています。
雨天だったのですが 参拝者は多かったです。
山号は補陀洛山 院号は観音院 宗旨は天台宗 寺格は別格本山 ご本尊は聖観世音菩薩 創建年は(伝)天平11年(739年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あろりきゃ そわか
ご詠歌:あしびきの山鳥の尾の長尾寺(ながおでら) 秋の夜すがら御名(みな)をとなえよ
でした。
由緒については
寺伝によれば天平11年(739年)行基が当地で楊柳に霊夢を感じその木で聖観音菩薩像を刻み 堂宇に安置したのが始まりとされ その当時は法相宗とされた。
なお 寂本の『四国偏礼霊場記(1689年刊)』には 聖徳太子が創建し 本尊聖観音菩薩像は空海作で同時に阿弥陀如来を造り当寺を再興したとなっている。
空海(弘法大師)が渡唐前 入唐求法の成功を祈願し年頭七夜の護摩の秘法を修し その7日目の夜に護摩符を丘の上より人々に投げ与えたとの伝説があり これは毎年1月7日の「大会陽福奪い」として今に伝わっている。
天長2年(825年)唐より帰朝した空海は大日経を一石に一字写経の万霊供養塔(現存せず)を建立し伽藍を整え真言宗に改宗した。
その後 幾度かの兵火により堂宇は失われたが 慶長年間(1596年 – 1615年)生駒氏によって再興 長尾観音寺と呼ばれる。
天和元年(1681年)には藩主松平頼常が堂塔を寄進 翌々年には讃岐七観音の随一とし 真言宗から天台宗に改宗される。
元禄6年(1693年)には寺領を賜り観音院長尾寺と改称する。
なお 静御前が源義経と別れた後 母の磯禅師と共に当寺を訪れ 得度したとの言い伝えもあり 静御前の位牌や剃髪塚が遺存する。
とありました。
立派な山門には 巨大ぞうりが
別格本山の石柱
経幢(1286年、右の東側)
経幢(1283年、左の西側)
経幢の由緒
山門(仁王門)は鐘楼門です
金剛力士は新しそうです
鐘楼と扁額
長尾寺のくすのきとありました
本堂
本堂内陣
大師堂
大師堂内陣
薬師堂
薬師堂内陣
護摩堂
興亜地蔵尊
静御前 剃髪塚
納経所
すてき
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くるくるきよせん2024投稿
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