こうやまじ|真言宗善通寺派
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甲山寺(こうやまじ)。
地図を片手にテクテク歩きました。が、迷うことに。すると、目の前にお遍路さんらしき方が。ついつい声をかけてしまいました。「すいません。甲山寺に行かれますか?」「行きますよ。」という返事。
「邪魔にならないようにしますから、後をついて行っていいですか。」と尋ねると「はい。」という返事をいただきついて行きました。
本当に助かりました。お経をあげ、境内でゆっくりしました。その方は弥谷寺まで行かれるとのこと「お気をつけて!」後二ヶ月もすれば、お遍路さんが増え、なんとなく行けるのだそうです。
四国八十八ヶ所霊場 第74番札所
山号:医王山
宗派:真言宗善通寺派
御本尊:薬師如来
創建:伝 821年(弘仁12年)

甲山寺の境内社です。鳥居や狛犬などはなく 祠だけでした。
淡島神について調べてみました。
日本書紀ならびに古事記に於いて 伊弉諾神と伊弉冉神が国産みを行った際に 両神の2番目の子として淡島が登場する。
しかし 最初の子である蛭子神と同じく 不具の子であったために葦船に乗せて流され 子の数には数えないとしている。
なお 「淡島」という島ならびに地名は日本各地に存在しており 記紀に記された淡島がどこにあたるかは比定ならびに特定されておらず 不明となっている。
淡島神は 天照大神 の6番目の御子神で住吉明神に嫁いだが 婦人病にかかったことにより粟島に流されてしまったため そこで婦人病の人々を救うという誓いを立てたという 。
とありました。

3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の8寺院目です。
こちらの甲山寺 ちょっとかわいそうです。甲山の麓にあり 目の前に川も流れているのですが お隣というか寺までの道が砕砂リサイクル工場の横を通っているのです。おそらく甲山を削って工場の敷地を確保したのでしょうが あんまりです。四国霊場で初めてこんな景色を見ました。
さて 駐車場に車を停め 境内へ。
境内には 中門・鐘楼・本堂・大師堂・護摩堂・多聞天堂があります。
本堂と大師堂と鐘楼は木の色が濃く 私の好きな色です。歴史を感じます。
ただ おそらく仏像を傷みから守るためだと思うのですが 狭い格子しかなく さらにガラスかアクリルの板で遮蔽されており 内陣はあまりしっかり拝見できませんでした。
境内には他にも 甲山のうさぎなるものがあり 本尊脇仏の月光菩薩の持物にウサギが描かれていることから 山門や中門の内側および茶堂の屋根と手水舎の前にいるのだそうです。
御朱印もうさぎのものがありましたので うさぎで有名なお寺のようです。
休憩スペースもあり 歩き参拝の方には優しいお寺です。
山号は医王山 院号は多宝院 宗旨宗派は真言宗善通寺派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)弘仁12年(821年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:十二神(じゅうにしん)味方に持てる戦(いくさ)には おのれとこころ甲(かぶと)やまかな
でした。
由緒については
伝説では 壮年期の空海が寺を建立しようと幼きとき遊んだこのあたりを探索していると 老翁が現れ この地にお寺を建立すべしとお告げをした。
この地の岩窟に住む毘沙門天の化身と悟った空海は この岩窟に毘沙門天を祀った。
その後 嵯峨天皇の勅命を受け別当として満濃池の修築を命じられた空海は この地で薬師如来を刻み修法すると数万の人々が集まり 無事に築造を完成に導いた。
弘仁12年(821年)その功績に対して朝廷から二万銭が与えられ その一部によって堂を建立したのが当寺の始まりであるという。
天正年間の兵火により本尊とわずかの寺宝が残ったのみで 『四国徧礼霊場記』(1689年刊)には 「むかし大伽藍の所といえども荒涼せり盛衰は世の数ある・・」と記されている状況であったが 享保20年(1730)に本堂 寛保2年(1742)に大師堂が再建され、『四国遍礼名所図会』(1800年刊)の挿絵では現在の形に近い形に復興している。
とありました。



【医王山(いおうざん)多宝院(たほういん)甲山寺(こうやまじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗善通寺派
開基:弘法大師
甲山寺は、満濃(まんのう)池の修築に深い関わりがある。壮年期の弘法大師(774-835)が寺を建立しようと幼きとき遊んだこのあたりを探していると老翁が現れ、この地にお寺を建立すべしとお告げをした。この地の岩窟に住む毘沙門天の化身と悟った大師はこの岩窟に毘沙門天を祀った。 その後、第52代 嵯峨天皇(809-823)の勅命を受け別当(監督官)として満濃池の修築を命じられた空海は、この地で薬師如来を刻み修法すると数万の人々が集まり、無事に工事を完成に導いた。821(弘仁12)年、その功績に対して朝廷から褒賞金が与えられ、その一部によって堂を建立したのが甲山寺のはじまりとされる。

【74_T.Hamada's view】
山門。

【74_毘沙門天の岩窟】
当時、頻繁に決壊していた満濃池の修復を命じられた弘法大師は、甲山の岩窟(毘沙門天の岩窟)で工事の成功祈願をしたとされる。大師を慕う数万人が集まり、わずか三ヶ月で完成したと言われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)



*ブログの報告より部分抜粋
続けて、74番札所の『甲山寺』です。ここは唐の国で土木工学も学んだ大師の指揮の元、護摩祈祷の加持力も頂いてわずか3ヵ月で修復工事を終えたとされる奇跡の溜め池『満濃池』の工事完成の報奨金を朝廷から賜って建立した寺院です。本尊は、そのときに工事の無事を祈願したものとされる薬師如来像。この甲山寺からは大変、有難い祈祷済みの「金剛杵」と「疫病退散守り」を母と二人で頂いてきました。母はひと目で「五鈷杵」の方を気に入りまして、私自身はシンプルに「独鈷杵」の側を選択。母はこの五鈷杵を入手して以来、脚の患部をこれで擦ると痛みがスーと和らぐといって非常に喜んでいます。具体的には、脚は暑くても寒くても痛むのですが、暑い時にはヒンヤリと冷たく感じ、寒い時には暖かい熱を感じて楽になるとのこと。そしてまた、興味深いお守りの方ですが、甲山寺の裏山から住職が自ら摂ってきたという10cm程度の竹筒の中には、疫病をもたらす鬼を逆に供養することで疫病を除くという希少でとても有難い御経と「壇線」(護摩壇に使用されている結界用の五色の糸で「金剛線」とも呼ばれる)を納めています。そして、この竹筒とセットになっている祈祷済みの特殊な焼香も添えられており、これを焚いて部屋を清めたり、または、そのまま竹筒と一緒に玄関の高い所にお祀りしておくと、疫病を家の中にもたらさないように守護して頂けるというものです。
ブログ---宝珠diary
『Occultist による仏教論考 etc.』
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