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琴彈八幡宮のお参りの記録一覧
香川県 観音寺駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年09月08日(日)3171投稿

観音寺さんの奥の院ということでお参りしました。
琴弾浜がとても有名で いつか見に行きたいなと思っていたので これ幸いとなりました。
まずは展望台に行き 琴弾浜の銭形砂絵(寛永通宝)を見ました。
いやいやこれはすごいですね。立派立派。新しく迎える藩主のために1日で造ったとのこと。驚きです。
大満足してから 展望台すぐ近くから本殿に向かう道を進みました。
こちら琴弾八幡宮の本殿は山の上にあるので こちらからお参りするのが楽なのです。
拝殿本殿はとても立派ですが そんなに古いものではなさそうでした。
拝殿の戸の上に 鬼なのか猪なのか分からないのですが 対になって顔の彫刻が施されていました。
本殿のお参りがすんだら また展望台から車で麓に下り 大きな鳥居をくぐりました。
鳥居をくぐったら すぐ右手にまた鳥居があります。これは二の鳥居なのですが 大鳥居と書かれています。その先に随神門がありここから山上の本殿へ続いています。
こちらはもう上りませんでした。
庚申神社・山之神神社・琴彈戎とお参りして つきあたり神幸殿へ向かいました。
本来ならこちらで御朱印を拝受できるのですが ちょうどお昼のお休みの時間で 次のお寺に行きたい思いが強く 待っていられませんでした。また来ます とお参りだけにしました。

琴弾八幡宮は 大宝3年(703年)創建で 主祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命です。

由緒については
当社の縁起は 権中納言・藤原実秋が応永23年(1416年)に記した『七宝山八幡琴弾宮縁起』によると 大宝3年(703年)3月 西方の空が急に鳴動して黒雲が天を覆い 3日間 日や月を失った。
そのとき琴弾山麓の梅掖の浜に一艘の舟があり その舟より神秘に響く琴の音が聞こえた。
僧・日証が近寄ると「われは八幡大菩薩なり、朝家を守護するために宇佐より来たり。この地の風光を見て去るに忍びず」と告げ また海浜が一夜にして竹林に変わる霊験もあったことから 里人数百人で その船を神舟として琴とともに山頂に運び上げ 琴を添えて神殿を造営し祀ったのが始まりとされる。
大宝3年(703年)文武天皇の勅命により僧・日証が宇佐八幡宮を勧請し 神宮寺として神恵院を開基 さらに法相宗道場として宝光院も開基したとされる。
のち 唐より帰国した空海が当地に留まり 弘仁3年(812年)に 神恵院第7世住職となる。
空海は法相宗を廃し 自ら刻んだ聖観世音菩薩像を祀り真言宗に改め 伽藍は奈良・興福寺にならい東金堂 中金堂 西金堂の三金堂制とし 七堂伽藍を建立。
七宝山観音寺と称したと伝わる。
観音寺の寺勢は興隆を極め 僧坊 あるいは塔頭を数ケ寺を数えたとされる。
また神恵院は別当寺として寺社両務を努め 当社の維持管理を行っていた。
貞享4年(1687年)の『四国遍路道指南』によると 当社は四国八十八箇所第68番札所で 観音寺が第69番札所であった。
明治の神仏分離令により当社の八幡神の本地仏・阿弥陀如来画像は 観音寺境内の西金堂に移し神恵院本堂とし 当社は琴弾神社と改名し神社単体として独立 四国霊場から切り離された。
別当寺であった神恵院を第六十八番札所としたことで 一境内に2つの札所が並ぶこととなった。
のちの第二次世界大戦後 琴弾八幡宮と復称した。
とありました。

琴彈八幡宮(香川県)

銭形砂絵(寛永通宝)

琴彈八幡宮(香川県)

本宮への道

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