どうりゅうじ|真言宗醍醐派|桑多山(そうたざん)
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四国八十八所巡り吉願目指して日帰り旅。
吉願まで残すところわずか。日帰りで香川まで行きました。
金倉寺から海沿いに戻ってきました。海まで500mほどでしょうか。
仁王門をくぐると 眼なおし薬師さまとありました。
おぉぉ老眼治るかなぁ 篤く篤くお願いいたしました。
こちらもなで七福神巡りのお寺でした。寿老人でした。
全部巡れば良かった~と思ったら すべて八十八か所じゃないですか。はい巡りました。
境内は町中のお寺にも関わらず広く感じました。
本堂と大師堂 鐘楼に多宝塔もありました。
少し驚きだったのですが 日本全国百七十観音お砂ふみがありました。
本堂手前・左手・裏手に観音様がずらりと並んでいらっしゃるのです。
後で知ったのですが 鐘楼から裏手にまわると 境内社がありましたし 本堂横手にもお堂があったようなのです。
くわぁ~ 急いだあまりに見落としたぁぁぁぁ。
大失態です。また伺わなくてはなりません。
山号は桑多山(そうたざん) 院号は明王院(みょうおういん) 宗旨宗派は真言宗醍醐派 寺格は大本山 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)天平勝宝元年(749年) 開基は(伝)和気道隆です。
と真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:ねがいをば 仏道隆(ぶつどうりゅう)に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
でした。
由緒については
天平の頃この付近は桑園であった。
寺伝によれば 和銅5年 当地の領主である和気道隆が桑の大木が夜ごと怪しい光を放ったのでその方向に矢を射ると 矢が乳母に当たり誤って殺してしまった。
これを悲しんだ道隆は桑の大木を切り 薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源であるという。
道隆の子の朝祐は 大同2年(807年)唐から帰朝した空海に頼み 90 cmほどの薬師如来を彫像し その胎内に道隆の像を納め本尊とし また 空海から受戒を受け第2世住職となって 七堂伽藍を建立し父の名から「道隆寺」と号した。
そして 第3世は空海の実弟の真雅僧正(法光大師)が継ぎ23坊を建立 第4世は円珍(智証大師)で五大明王を彫像し護摩堂を建立し 第5世の聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となり大いに栄えた。
とありました。
少し悲しい物語でした。






【桑多山(そうたざん)明王院(みょうおういん)道隆寺(どうりゅうじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗醍醐派
開基:和気道隆
かつて一帯は桑の木が生い茂っていた。712(和銅5)年、当地の領主である和気道隆(みちたか)が桑の大木が夜ごと怪しい光を放ったのでその方向に矢を射ると、矢が乳母に当たり誤って殺してしまった。これを悲しんだ道隆は桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが寺の起源とされる。その後、道隆の子の朝祐(ちょうゆう)は、807(大同2)年、唐から帰朝した弘法大師(774-835)に頼み、90cmほどの薬師如来を彫り、その胎内に道隆の像を納め本尊とし、七堂伽藍を建立し、父の名から「道隆寺」とした。

【77_T.Hamada's view】
山門。

【77_目なおし薬師】
江戸時代、藩主の子孫の目が悪く、本尊の薬師如来にお参りをしたところ、その子の視力は回復し、後に眼科治療の名手となった。当寺は「目なおし薬師」として広く知られる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

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