しろみねじ
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白峯寺ではいただけません
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白峯寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月11日(月)
参拝:2024年2月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
根香寺から車で15分かからないほどの距離でした。
ですが市の境を超え 坂出市になります。
山門はなく 七棟門をくぐります。
それぞれの堂宇には 七福神と干支が割り振られていて それぞれ石像が置かれています。
頓証寺殿には恵比寿天とウサギ 薬師堂には福禄寿とサルとヒツジ
行者堂には寿老人とウシとトラ 阿弥陀堂には布袋尊とウマとイヌとイノシシ
本堂には毘沙門天とネズミ 大師堂には大黒天
護摩堂にはタツとヘビとトリ 弁財天社に弁財天
いやぁ 観る所が多すぎです。
こんな山奥に立派なお寺を建てた人々はえらい!
山号は綾松山(りょうしょうざん) 院号は洞林院(どうりんいん) 宗旨宗派は古義真言宗 御室派(御室御所大内山仁和寺門跡末) 寺格は別格本山 ご本尊は千手観音 創建年は(伝)弘仁6年(815年) 開基は(伝)空海(弘法大師)円珍(智証大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:霜さむく露白妙(つゆしろたえ)の寺のうち 御名(みな)をとなうる法(のり)のこえごえ
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)この地に訪れ 白峯山頂(標高357 m)に如意宝珠を埋めて 仏に供える水を汲む閼伽井を掘り 衆生救済の請願をした。
また 円珍(智証大師)が貞観2年(860年) 山頂に輝く瑞光を見て登頂 そのとき地主神である白髪の老翁よりご神託を受け 瀬戸内海に現れた光明に輝き 芳香薫ずる可思議な光を放つ霊木で千手観世音菩薩を刻み 当寺本尊として安置し 仏堂を創建したと伝えられている。
後に 長寛2年(1164年)旧暦8月26日崇徳上皇が讃岐流刑地で崩御し 遺詔により当寺上の稚児嶽上で荼毘に付され陵墓が造られた。
その3年後には西行法師が詣で慰霊のために法楽を行った。
その後 建久2年(1191年)後鳥羽天皇により 慰霊のため陵墓近くに 崩御までの6年間を過ごした鼓岡の御所である木の丸殿を移築し法華堂を建て 上皇が仁和寺で軟禁されているとき描かれた自画像を奉安し頓証菩提を弔った。
寺運は上昇し寺坊は21を数えるほどになっていたが 永徳2年(1382年)火災によって大半を焼亡する。
応永22年(1415年)に後小松天皇は上皇の成仏を願い自筆の「頓證寺」と書かれた勅額を奉納し頓証寺殿となった。
そして 延宝8年(1680年)には高松藩主松平頼重・頼常により頓証寺殿と勅額門が再建された。
とありました。
根香寺から車で15分かからないほどの距離でした。
ですが市の境を超え 坂出市になります。
山門はなく 七棟門をくぐります。
それぞれの堂宇には 七福神と干支が割り振られていて それぞれ石像が置かれています。
頓証寺殿には恵比寿天とウサギ 薬師堂には福禄寿とサルとヒツジ
行者堂には寿老人とウシとトラ 阿弥陀堂には布袋尊とウマとイヌとイノシシ
本堂には毘沙門天とネズミ 大師堂には大黒天
護摩堂にはタツとヘビとトリ 弁財天社に弁財天
いやぁ 観る所が多すぎです。
こんな山奥に立派なお寺を建てた人々はえらい!
山号は綾松山(りょうしょうざん) 院号は洞林院(どうりんいん) 宗旨宗派は古義真言宗 御室派(御室御所大内山仁和寺門跡末) 寺格は別格本山 ご本尊は千手観音 創建年は(伝)弘仁6年(815年) 開基は(伝)空海(弘法大師)円珍(智証大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:霜さむく露白妙(つゆしろたえ)の寺のうち 御名(みな)をとなうる法(のり)のこえごえ
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海(弘法大師)が弘仁6年(815年)この地に訪れ 白峯山頂(標高357 m)に如意宝珠を埋めて 仏に供える水を汲む閼伽井を掘り 衆生救済の請願をした。
また 円珍(智証大師)が貞観2年(860年) 山頂に輝く瑞光を見て登頂 そのとき地主神である白髪の老翁よりご神託を受け 瀬戸内海に現れた光明に輝き 芳香薫ずる可思議な光を放つ霊木で千手観世音菩薩を刻み 当寺本尊として安置し 仏堂を創建したと伝えられている。
後に 長寛2年(1164年)旧暦8月26日崇徳上皇が讃岐流刑地で崩御し 遺詔により当寺上の稚児嶽上で荼毘に付され陵墓が造られた。
その3年後には西行法師が詣で慰霊のために法楽を行った。
その後 建久2年(1191年)後鳥羽天皇により 慰霊のため陵墓近くに 崩御までの6年間を過ごした鼓岡の御所である木の丸殿を移築し法華堂を建て 上皇が仁和寺で軟禁されているとき描かれた自画像を奉安し頓証菩提を弔った。
寺運は上昇し寺坊は21を数えるほどになっていたが 永徳2年(1382年)火災によって大半を焼亡する。
応永22年(1415年)に後小松天皇は上皇の成仏を願い自筆の「頓證寺」と書かれた勅額を奉納し頓証寺殿となった。
そして 延宝8年(1680年)には高松藩主松平頼重・頼常により頓証寺殿と勅額門が再建された。
とありました。
駐車場にある境内案内図
七棟門
由緒書
勅使門
弁財天社
手水 龍でした
水子地蔵尊
頓証寺殿前に狛犬 奥に崇徳天皇の白峯陵があるからでしょう
頓証寺殿の山門
山門の扁額
頓証寺殿
拝殿 干支はウサギ
本尊は文殊菩薩
崇徳天皇の白峯陵への扉 9月21日に開くそう
カラス天狗
恵比寿天
かわいらしいカラス天狗
本堂・大師堂に続く階段 ちょいきつい
鐘楼
薬師堂
干支はサル
それとヒツジ
福禄寿
行者堂
寿老人
干支はウシとトラ
阿弥陀堂
布袋尊
干支はウマとイヌとイノシシ
紐はご本尊につながっているようです
献灯がきれいです
本堂
干支はネズミ
毘沙門天 姿が見えず
本堂内陣
大師堂
大黒天
護摩堂
干支はタツとヘビとトリ
七棟門の説明
すてき
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