さぬきこくぶんじ|真言宗御室派|白牛山(はくぎゅうざん)
讃岐國分寺のお参りの記録一覧
レンタカーのナビがどうしても、國分寺”跡”に案内するんです…
周辺をぐるぐる彷徨ってやっと着けました。
境内は見どころ満載で、とても楽しい散策?でした。もっとゆっくり見たかった、また来たい!
納経所へ伺うと、住職様が、たぶん授与品を納品する業者さん?なのかな、と商談みたいなお話しされてて、待つ間もう1度見て回って来ようとしたら、話しを止めてとても気さくに御対応くださいました。
ありがとうございます。
志納するのにうっかり小銭が足りなくなってしまってお詫び申し上げたら「今みたいに混んでる時じゃなければ、かえってお札の方が助かるよ」との優しいお言葉をかけてくださいました。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
80番 讃岐国分寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
80番 讃岐国分寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
80番 讃岐国分寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
80番 讃岐国分寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
80番 讃岐国分寺
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
白峯寺から車で20分ほどで着きます。
駐車場に停められる台数も多く お参りしやすいです。
仁王門をくぐって真っすぐ行くと本堂があります。
ご本尊の十一面千手観世音菩薩は見ることができます。
あくびちゃんという幸せの白猫もいます。
境内社で 春日神社と良縁社があります。
良縁社は 金箔を貼って祈願することになっていました。
また狛犬が珍しいタイプでした。
池にはお願い弁財天がいます。七福神勢ぞろいです。
願掛け不動明王もいます。
願掛け大師像もあります。
願掛けばかりですね。
大師堂の地下には千体地蔵が並んでいます。
大師堂では様々な拝受品を購入できます。
大日如来堂は工事中で 大日如来像を500年ぶりに完全再現するためのクラウドファンディングが行われていました。
すでに目標を達成されているようでした。
境内にはミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます。
見どころが多くて 時間が早く経ってしまいます。
山号は白牛山 院号は千手院 宗旨宗派は真言宗御室派 寺格は別格本山 ご本尊は十一面千手観世音菩薩 創建年は天平勝宝8歳(756年)以前 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:国を分け野山をしのぎ寺々に まいれる人を助けましませ
でした。
由緒については
国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国六十八箇所に建立されたとされ 当寺もその頃の創建と推測される。
寺伝では 行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(現存する本尊像は当時のものではないが 四国霊場の江戸期以前作の仏像で 丈六仏は善通寺の薬師如来坐像と当寺本尊のみで しかも立像であるので四国霊場で最大の大きさである)。
史実としての具体的な創建年は定かでない。
『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記載があり この頃に寺観が整っていたと考えられる。
明徳2年(1391年)の文献には当寺が西大寺の末寺である旨が記されており その他の文献から鎌倉末期までには西大寺末となっていたと推測されており現存本堂の建造も西大寺系の僧が関わっていたものと考えられる。
天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。
その後 江戸時代には讃岐高松藩主から崇敬され 63石前後の寺領寄進を受けた。
とありました。
山門(仁王門)
縁起略記
山門の扁額
鐘楼
鐘楼の由緒
お迎え弁財天
閻魔堂
国分寺由来
延命地蔵尊
本堂
本堂由緒
本堂内陣
こういう鐘は何と呼ぶのでしょうか
春日神社
福龍の看板 ぼろぼろ
本殿でしょう
古木とお地蔵様
良縁社
珍しいタイプの狛犬
金箔を貼って祈願します
松葉でハートマーク
お願い弁財天
水かけ地蔵
手水は龍
願かけ不動明王
修行大師像と寿老人
願掛大師 金箔を貼って願掛けします
稚児大師
釈迦如来と仏足石
水子地蔵
鳥芻沙摩明王尊
千躰地蔵
入口
それぞれのお地蔵様に 奉納者のお名前が
しだれ梅
福松
大師堂
仏足石
大日如来堂
ミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます
千体地蔵堂
ミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます
石柱
【白牛山(はくぎゅうざん)千手院(せんじゅいん)國分寺(こくぶんじ)】
本尊:十一面千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:行基菩薩
讃岐国分寺は、諸国国分寺と同様、741(天平13)年、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅命により行基菩薩が開創した。その後、弘仁年間(810-824)弘法大師(774-835)が訪れ、本尊や伽藍を修復して四国霊場に定めている。建立当時は広大な寺領をもち、威風堂々とした本堂や七重塔をはじめ、諸堂が立ち並ぶ大寺院だった。しかし、ここ国分寺も天正の兵火(長宗我部の兵火)により、本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。その後、江戸時代には讃岐高松藩主から崇敬され、63石前後の寺領寄進を受けている。
【80_T.Hamada's view】
大師堂。
【80_広い境内と大きな礎石】
全国の国分寺の中でも、奈良の唐招提寺に匹敵する大きさを誇る国分寺。広い境内には創建時の本堂の礎石となった大きな石が点在し、巨大な七重塔が建っていたと推測される。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【80_礎石が残る境内】
金堂跡の礎石。
【80_礎石が残る境内】
七重塔跡の礎石。
【80_本堂】
【80_大師堂】
多宝塔のような形の大師堂。その前に水子地蔵が立っている。
【80_仁王門】
仁王門の前に張り出す松の枝が見事。
【80_仁王阿形像】
【80_仁王吽形像】
【80_銅鐘】
江戸時代、1609(慶長14)年2月2日、第2代高松藩主の生駒一正(いこまかずまさ)公が参詣の折に、この鐘の音の美しさを非常に気に入り、「朝夕の時の鐘に」と城に持ち帰った所、鐘は少しもならず、城内外に怪異が広まり、疫病が流行、一正公も病床に伏すこととなった。毎夜、鐘が一正公の夢枕に立ち「国分寺へいぬ いぬ(帰るの古語)」と泣いたという。これは鐘の祟りに相違ないと恐れられ、同年3月14日に返された。国の重要文化財。無記銘ながら、その古い形式的特徴から、奈良時代の鋳造と考えられている。
【80_千体地蔵堂】
【80_閻魔堂】
【80_良縁社】
良縁成就・夫婦円満にご利益がある、愛染明王を本地仏とする神様をお祀りしてる。松の落ち葉でハートマークができていました。
【80_お迎え弁財天】
【80_弁財天堂】
七福神が並ぶ。
【80_弁財天】
【80_水かけ地蔵】
【80_願かけ不動明王】
【80_ミニ四国八十八ヶ所巡り】
【80_福松】
天然の黒松の葉がこんもりと密集して何ともありがたい景色を作り出しており、福松とよばれている。
札所80番 国分寺
聖武天皇の勅願により行基を開基として国家安寧、五穀豊穣、万民豊楽を願って建立されました。
大師堂が納経堂の中からお参りするという珍しい形となっており、写真を撮っていいのかわからず撮らずじまいでした。
そしてこの日でいったんお遍路は休止とし、一度高松駅まで戻ってうどんを食べつつ空港への高速バスを待ちました。
バスの時間ギリギリまで、駅近くの高松城へ
無事飛行機に乗って東京へ。
明るいうちに戻ってくると次の日仕事でも精神的に少し楽です。
「ミニ八十八ヶ所めぐり」や「七福神めぐり」も楽しめる、ご利益満載のお寺。
立派な仁王像(伝・湛慶作)の構える山門をくぐると、両サイドから88体の石仏(ミニ八十八ヶ所めぐり)がお出迎え。
このミニ八十八ヶ所めぐりを一巡すれば、四国八十八ヶ所をすべて回ったのと同じ功徳が得られるそうです。
本堂では、美しい顔立ちをした十一面観音立像(本尊のお前立ち)を窓越しに拝観できます。
本堂前の池には「さぬき七福神」のうちの弁財天がまつられており、そのほかの6神も勢ぞろい。
七福神をワンセットで拝めます!
さらに、お寺の北側には「特別史跡 讃岐国分寺跡」が隣接し、奈良時代創建当時の礎石や、復元された僧房の内部を見学できます。
お参り後に散策してみてはいかがでしょうか。
【そのほかの見どころ】
空海の大日如来像(造立中)
延命地蔵尊
願かけ金箔大師
梵鐘(四国最古)
御衣木(龍の形をした古木)
四国お遍路第80番札所、白牛山千手院国分寺。聖武天皇勅願の国分寺の一つ。ご本尊は行基菩作十一面千手観世音菩薩。
ミニ四国88ヶ所巡り。
お迎え弁財天。
入母屋造の本堂は鎌倉中期。
本堂。
えんむすび
七福神。紫外線は女性の敵ですからね。弁財天さまだけ屋根付き。
稚児大師。
多分長沢芦雪のうしといぬ。「看板の後ろでしゃがんで、こっち向くよ」素直に顔はめパネルで🐶になるおじい。
またまた良縁結び。
お正月に実家に帰った際に連れて行かれました。
ペット用の交通安全のお守りは、毎年こちらでいただいています。
四国八十八ヶ所の一つですね。
金箔大師
金箔に願掛けをしてこの像に金箔を貼り付けていくようです。
お大師様
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