ちんじゅうふはちまんぐう
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鎮守府八幡宮ではいただけません
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鎮守府八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年07月04日(月)
参拝:2022年4月吉日
【陸奥国 古社巡り】
鎮守府八幡宮(ちんじゅふ・はちまんぐう)は、岩手県奥州市水沢にある神社。旧社格は県社。祭神は應神天皇、神功皇后、市杵島姫命。
創建は不詳。社伝によると、平安時代初期の801年、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東夷のために下向した時に当地に胆沢城を築いて鎮守府を置き、豊前國の宇佐八幡神を勧請したのが始まり。810年には嵯峨天皇より八幡宮寶印を下賜されている。850年には当社神宮寺の安国寺別当であった慈覚大師円仁が最勝王経を講じて諸祭を行った。941年には藤原秀郷が平将門征討の折、戦勝祈願し神領と神剣を奉納、1063年には源頼義・義家父子も戦勝祈願に訪れた。奥州藤原氏も当宮を崇敬し、社殿の造営、十六羅漢像、神領、神宝を奉納した。『吾妻鏡』には、源頼朝が胆沢軍鎮守府に鎮座する八幡宮にしたことが記載されている。戦国時代には豊臣秀吉が浅野長政に社殿の造営と神領の安堵をさせている。江戸時代には仙台伊達氏の篤い保護を受け、藩費で社殿を造営修復した。1637年洪水により現在地に遷座。明治時代に入り、近代社格制度の下、県社に列格した。
当社は、JR東北本線・金ヶ崎駅の南東3kmの、北上川の支流・胆沢川近く、一面に耕作地が広がる平地にある。社殿は大きく立派で、旧県社らしさを感じるが、大通りである県道270号線から境内までの道路がかなり細くて、到着まで難儀した。境内は緑は多いがきれいに整備されていて、神聖な空気感も素晴らしい。
今回は、岩手県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後遅めの時間で、自分以外には特に参拝者は見掛けなかった。
幹線道路の県道270号線沿いにある<一の鳥居>と<社号標>。境内は鳥居の先ではなく、右前方(北東方向)500m離れた場所にある。
境内南端入口の<二の鳥居>と<社号標>。
境内南側の眺め。一面の耕作地。一の鳥居からここまでの公道は道幅が狭い。
鳥居をくぐって境内に入る。参道は真っ直ぐではなく、やや左(西側)に逸れながら進む。
(後で分かったことだが、)鳥居をくぐって参道をまっすぐ進んだ位置には、小川に囲われた古墳のような場所に、磐座を中心にした祭祀場がある。
参道を進むと、小川に架かる<神橋>を渡る。
参道左側の<狛犬>。かわいらしい見た目。(o^―^o)
参道右側の<狛犬>。土台の<奉>の文字がカッコイイ。
参道進んで左側の<手水舎>。
参道が境内中央に戻って<三の鳥居>。
<拝殿>全景。
拝殿の右手には<社務所>が繋がっている。拝殿の右側の渡り廊下部分に<授与所>がある。御朱印はこちら。
<拝殿>正面部分が二重になっていて、外側と内側の両方に扁額が掛かっている。
<拝殿>正面奥。神職常駐できれいな拝殿内が解放されていた。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿の右側に境内社が並んでいるので見て廻る。まずこちらは<山神宮>。扁額の「山」の字が象形文字になっている。(o^―^o)
極太巨木の<御神木>。
御神木の根本にある小さな社。
色鮮やかな覆屋に囲われた<稲荷社>。
最も北側には、古い石柱や石製小社が集められている。
少し戻って、背後から<社殿>全景。
最後に、正面から<社殿>全景。御朱印拝受の際、宮司さんとお話をさせていただき、神饌まで頂戴した。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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