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中尊寺ではいただけません
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中尊寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月05日(土)
参拝:2022年10月吉日
岩手県西磐井郡平泉町に境内を構える天台宗東北大本山の寺院。 山号は関山、寺号は中尊寺、ご本尊は釈迦如来、奥州三十三観音番外札所、円仁縁の寺院を巡る、四寺結願の四寺廻廊、みちのく巡礼、岩手協力寺院、他札所になってます、嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。慈覚大師は天台宗第三代座主で、世界三大旅行記のひとつ『入唐求法巡礼行記』の著者としても知られています。大師の開山は「勧請開山」といって、師の法を汲む人々がその徳を偲んで開山として仰いだものです。11世紀後半、前九年・後三年の合戦を経て、安倍氏・清原氏と受け継がれた奥六郡(岩手県中南部)を藤原清衡公が伝領し奥州藤原氏が興ります。清衡公は江刺郡豊田館から衣川を南に越えて平泉に居を移し、長治2年(1105)、かつて関所(衣関)のあった要衝の地、関山に中尊寺を造営します。 そのなかで現存する唯一の創建遺構である金色堂は三間四面の小堂ながら平安時代の漆工芸、金属工芸、仏教彫刻の粋を凝縮したものであり、また奥州藤原氏の葬堂として日本史上に独特の位置を占めてきました。また経蔵には藤原氏三代によって発願され書写された金銀字交書一切経、金字一切経、金字法華経が納められました。金字一切経は都でも皇族や上級貴族しか行うことのできなかった写経事業で、金銀字一切経にいたっては慈覚大師の『入唐求法巡礼行記』に中国五台山に存在したと記されているのみで、国内では唯一のものです、100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」でした。しかし、平氏政権を倒した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびて間もなく、義経を保護した秀衡公が病死すると、四代泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込みます。その泰衡公も頼朝に攻められ、文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡したのです。
鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、建武4年(1337)の火災で惜しいことに多くの堂塔、宝物を焼失しました。しかし国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻、考古、民俗の各分野にわたる文化遺産が現在まで良好に伝えられ、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、散策、参拝、岩手県世界遺産観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、建武4年(1337)の火災で惜しいことに多くの堂塔、宝物を焼失しました。しかし国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻、考古、民俗の各分野にわたる文化遺産が現在まで良好に伝えられ、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、散策、参拝、岩手県世界遺産観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
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