まいくさじんじゃ / もくさじんじゃ
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楽しみ方儛草神社のお参りの記録一覧

陸奥国磐井郡の式内社であり、六国史の一つである『文徳天皇実録』において従五位下の神階授与の記録のある国史見在社でもあります。観音山の中腹に鎮座しており、この観音山は坂上田村麻呂公が蝦夷討伐の戦勝祈願のために建てた観音堂に由来しており、当社も神仏習合時代には東城寺の白山権現として祀られていました。

《東参道の鳥居》
こちらの車道から境内まで行けます。

《鳥居裏のお塚群》

《表参道黒門》
階段奥の木の柱が黒門の跡でしょうか。


《表参道》
黒門からも行けますがかなり険しそうなので車なら東参道を推奨します。

《随身門》
けっこう大きめの随神さまがいらっしゃいます。

《由緒書き》
白山権現として祀られてますが御祭神としては稲倉明神社の儛草神に神階授与が授与されてます。どこかのタイミングで菊理姫命さまと力関係が逆転してますね。また東城寺はすでにありますが『延喜式』神名帳に載ってます。

《手水舎》
水は枯れています。洗ひつるここも…(略)


《随身門の装飾》
なんか後ろから見たらよく分からない動物の後ろ姿にしか見えませんが、前から見ると猿が3匹抱き合っています。もしかして三猿?

《神馬舎》

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社に関連した伝承で有名なのが舞草刀です。舞草刀は平安時代にこの地域で作刀をしていた舞草鍛冶によって作られた日本最古の日本刀とされており、この時代から現代のように反りのある刃の形で作られるようになったそうです。当社の参道の途中にはその鍛冶屋たちの刀工跡の舞草鍛治遺跡があります。
このことから当社は全国の刀工から祖神として崇敬されています。

《扁額》
最近修復されたのかピカピカのテッカテカです。

《授与品》
御朱印と由緒書き、そしておみくじが引け…ん?

んんん!!!?

《鐘楼》

《御神木》

《神楽殿》

《宝塔》

《末社?》

【陸奥國 式内社巡り】
儛草神社(まいくさ~ / もくさ~)は、岩手県一関市舞川町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、伊弉冉命、稲倉魂命。
社伝によると、平安時代初期の807年に坂上田村麻呂による創建。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「陸奥國 磐井郡 儛草神社 小」に比定されている。神仏習合時代には吉祥山東城寺と称し、坂上田村麻呂が勧請した聖観音を祀り、僧坊も漸増、平泉全盛のころは二十四院を数えたという。古くは白山岳に鎮座していたという伝承もあり、白山岳周辺には鍛冶遺跡があり、舞草鍛冶として有名で、全国の刀工の祖神として崇敬された。江戸時代まで奥州三十三番の二十七番札所として栄えたが、明治の廃仏棄却に遭い、神社として復興し村社に列した。
当社は、JR東北本線・平泉駅の東方4kmの山の上にポツンとある。表参道の入口は地図上だと南方600mの位置にあるが、説明柱には1300mとあり、参道も森をかき分けるサバイバル系に見えたのでパス。車で上がれる限り上がった。社殿は想像以上に大きくきれい。おそらく割と最近建て直されたようにも見える。森に囲まれ、人里から完全に隔離されているだけあって、神聖な空気感は半端ない。
今回は、陸奥国の式内社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、参拝者は自分以外には誰もいなかった。

社殿から600m離れたところにある参道入口。道をクルマで走っていても、目立たないので普通の人は気付かないと思われる。黒い社号標には「延喜式内 儛草神社」とある。鳥居はない。
白い標識には「儛草神社表参道黒門」と書いてあって、側面には「之ヨリ東方 東参道入口1,300米車道…」とも記載されている。

階段を少し上がると、黒く四角い柱のようなものが2本、参道両側に立っている。
事前情報で、かなり厳しめの参道とのことだったので、別の道で社殿近くまで車で向かう。

社殿近くまで車で上がって、上から参道を見るとこんな感じ。

ショートカットしたので何番目の鳥居か分からないが<石鳥居>。

石鳥居の先、参道左側には磐座のような巨岩。

階段の上にもう一つ<石鳥居>と、その先に<随神門>。

<隋神門>の屋根は最近葺き替えられたようできれい。躯体はそれなりに年季が入っている感じ。

<隋神門>の通路で向かい合うように鎮座する<随神像>。

向かい側の<随神像>。

隋神門を抜けたところからの眺め。拝殿まで真っ直ぐに階段が伸びる。

階段途中左側の<神馬>。

神馬舎の前から社殿を見上げる。

階段を登り切ったところ左側の<狛犬>。クセの強い愛玩犬のよう。ちょっと笑っているみたいで、ある意味かわいいかも。(o^―^o)

右側の<狛犬>。こっちはもっとかわいい。これでは魔除けにならないような...(^_^;)

<拝殿>中央部全景。こちらも隋神門同様、躯体はそれなりに古いが、屋根は新しく葺き替えられている。

<拝殿>正面。「延喜式内 儛草神社」と書かれた扁額。

拝殿の左手少し離れたところにある建物。

上の建物から見た<社殿>全景。

拝殿後ろの<本殿>。斜面の高い位置にある。

拝殿右隣の<神饌殿>。「御札所」とも書いてあるが無人。

神饌殿の前にある<鐘楼>。神仏習合の名残り。

神饌殿右手の<御神木>。背後には石燈籠や石仏塔が並んでいる。

最後に<社殿>周り全景。森の中にポツンときれいな社殿が意外。(^▽^)/

岩手県南一関地方で新型コロナから地域を守っているという噂の「世界遺産・中尊寺周辺にある『六芒星(ろくぼうせい)』の結界巡り(その7)、一ノ関駅の北方、新幹線の近くに位置する「舞草神社」です。
車看板を見つけてから細い道を進みます。森に囲まれて薄暗くなり未舗装道路となり心配になりますが、2回目なのでガンガン進みます。しばらく進むと突然開けて神社が見え展望台的な場所に到着します。
歴史を感じさせる本殿、圧倒される巨大なモミの木、日本刀にはなくてはならない舞草刀発祥の地、一関を見渡せる大部ヶ岩など見どころがあります。
ここも今日は誰もいませんでしたが、六芒星巡り最後の場所として 「コロナ退散」を祈願しました。
ありがとうございました。
六芒星巡りは半日程度で十分廻れました。
有名な神社には参拝者はいましたが、地域の神社的なところでは参拝者に会うことはありませんでした。
ですが、各神社ともきれいに管理されていて、それぞれ歴史があり、六芒星としての位置付けの話題で今まで以上に賑わってほしいと思います。
そして一刻も早く「コロナ退散」の願いが叶う事を心待ちにしています。
【補足】
一関市舞川の観音山の奥深くにある。神秘的な雰囲気が漂う山林に、日本刀の源流とされる「舞草刀(もくさとう)」の鍛冶集団が無双の名剣を代々作り続けたという遺跡。「刀剣ファンの聖地」ともされる。
創建718年という由緒正しい神社。
磐座は境内西側にある大部岩(だいぶいわ)。森をくぐり抜けた断崖にそびえ立つ巨岩だ。上ると平泉周辺の田園地帯が一望でき、北側には白山神社のある山が望める。
岩手一関の六芒星を、陰陽五行説で万物の基を成すとされる要素「木火土金水(もっかどごんすい)」になぞらえると「木」に当たる。

駐車場から本殿を望みます。

舞草鍛治発祥の地。

舞草神社にも深い歴史あり!

参道から鳥居をくぐります。

門をくぐってちょっと階段を登ります。

本殿は歴史を感じる木造です。


巨大なモミの木。
一関市指定天然記念物です。

高台にあるので遠くまで響きそうな釣鐘です。

山の上で見晴らしの良い場所にあると聞いていたので、参拝させていただきました。
ひっそりと鎮座していますが、雰囲気からも歴史を感じることができます。日本刀が完成したことに関わる舞草鍛治発祥の地だそうです。
敷地内にあるモミの木は市の天然記念物とのことで、圧倒されます。
近くに大部ヶ岩という見晴らしがとても素晴らしい展望台があります。足元注意ですが。


舞草鍛治発祥の地。

日本刀完成に欠かすことができないのだそうです。



社殿も歴史を感じる雰囲気を出しています。


大きなモミの木です。


この奥に見晴らしの良い大部ヶ岩があります。

展望台っぽくはないです。岩です。

大部ヶ岩をよじ登ると、一関の絶景が見渡せます。
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