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惣一郎
2022年07月07日(木)
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【陸奥國 式内社巡り】

於呂閇志膽澤川神社(おろへし・いさわがわ~)は、岩手県奥州市胆沢若柳下堰袋にある神社。1871年(明治4年)に合併した於呂閇志神社、膽澤川神社はともに式内社。旧社格は村社。祭神は神八井耳命(かんやいみみ)、須佐之男命(すざのお)、大日靈命(かぐつち)、誉田別命(ほんだわけ)、大山祇命(おおやまつみ)、大名持命(おおなもち)。

於呂閇志神社の創建は平安時代初期810年、嵯峨天皇の勧請で、祭神は木花咲耶姫命(現在は祭神に含まれていない)。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「陸奥國 膽澤郡 於呂閇志神社 小」に比定されている。
膽澤川神社の創建は平安初期の807年、坂上田村麻呂の勧請で、祭神は胆沢川の水速女命(現在は祭神に含めれていない)。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「陸奥國 膽澤郡 膽澤川神社 小」に比定されている。上述の通り、1871年(明治4年)に於呂閇志神社と膽澤川神社が合併して成立し、近代社格制度のもと村社に列した。

当社は、JR東北本線・水沢駅の西方10kmの平地にある。南側には東西に国道397号線が通っていて、北側には東西に胆沢川が流れている。境内東端の鳥居から続く長い参道は桜並木になっていて、境内の桜の木を含め、参拝時はちょうどきれいな時期だった。境内は旧村社としてはかなり広く、大きな木も社殿周りだけなのでとても明るい。古い石碑なども多く、かつての信仰の篤さが伺える。

今回は、於呂閇志神社、膽澤川神社がともに陸奥国の式内社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、参拝者は自分以外には誰もいなかった。

於呂閇志胆澤川神社の鳥居

境内東方入口の<一の鳥居>と<社号標>。

於呂閇志胆澤川神社の建物その他

「於呂閇志膽澤川神社」と旧字体で彫られた、珍しい形の社号標。鋭利な刃物みたいな形。

於呂閇志胆澤川神社(岩手県)

<一の鳥居>の先に参道が続く。桜並木になっていて、4月下旬の岩手の遅い春、桜が満開。

於呂閇志胆澤川神社の建物その他

数百m進むと、境内地らしきところに到着。

於呂閇志胆澤川神社(岩手県)

境内地の中央に、ポツンと立つ<二の鳥居>。

於呂閇志胆澤川神社の本殿

<拝殿>遠景。社殿も周りだけ、高い木が並んで立っている。

於呂閇志胆澤川神社の本殿

<拝殿>全景。屋根含め、全体として落ち着いた色合い。

於呂閇志胆澤川神社(岩手県)

地面に置かれた拝殿前左側の<狛犬>。ずっしりとした大型犬タイプ。

於呂閇志胆澤川神社の狛犬

拝殿前右側の<狛犬>。適度に補修跡が入り、年季を感じさせる。

於呂閇志胆澤川神社の本殿

<拝殿>正面。扁額には「於呂閇志神社」とだけ書いてあって、「膽澤川神社」の記載はない。

於呂閇志胆澤川神社の本殿

<拝殿>内部。きれいに整頓されている。

於呂閇志胆澤川神社の末社

拝殿の右隣に建つ境内社。社名は不詳。

於呂閇志胆澤川神社(岩手県)

拝殿後ろの<本殿>。

於呂閇志胆澤川神社(岩手県)

境内外側(南側)から見た社殿全景と立ち並ぶ石碑群。

於呂閇志胆澤川神社の鳥居

拝殿近く、境内の南側にある<鳥居>。国道397号線からの最寄りはこちら。

於呂閇志胆澤川神社の建物その他

境内の北側にある<社務所>。看板がないが氏子会館か。

於呂閇志胆澤川神社の建物その他

境内中央、社殿から離れた位置にある軽量鉄骨製の<神楽殿>。

於呂閇志胆澤川神社の建物その他

神楽殿から社殿を望む。

於呂閇志胆澤川神社の建物その他

境内北東方に立ち並ぶ石碑群。

於呂閇志胆澤川神社(岩手県)

植物がきれいに手入れされている。桜の花びらの絨毯もこの季節ならでは。(^▽^)/

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於呂閇志胆澤川神社の基本情報

住所岩手県胆沢郡胆沢町若柳字下堰袋48番地
行き方
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名称於呂閇志胆澤川神社
読み方おろへしいさわがわじんじゃ
通称作神さま

詳細情報

ご祭神《主》沢女命,須佐之男命,大日霊命,軻遇土命,誉田別命,神八井耳命,若飯豊別命,彦火火出見命,大山祇命,大名持命
ご由緒

明治4年に「於呂閉志神社」と「胆沢川神社」を同床に合祀した延暦17年(789)の延喜式神名帳に記載された神社です。
胆沢川神社は大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請と伝えられ、祭神は水速女命として水神様を祀る神社であり、祭日は9月12日である。
於呂閉志神社は、元来石淵地区の猿山に鎮座する。「於呂閉志神社略縁起」によれば広仁元年(801)、嵯峨天皇の勧請と伝えられています。祭神は、須佐男之命、木花咲耶姫命を祀り、祭日は、4月29日、この春の例祭には、神の「よりしろ」となる椿、隈笹、お札からなる「御守札」を配る作神様として神事がみられます。
本殿には方一間木造入母屋造で、桟唐戸には黒漆塗に金泥をもって竹に雀、九曜紋並びに桐紋を描いた旧伊達宗章廟厨子が収納されています。
江戸時代初期の様式美が窺えます。

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