こまがたじんじゃ
駒形神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》駒形大神(天照大御神,天常立尊,国狭槌尊,吾勝尊,置瀬尊,彦火尊) | |
---|---|---|
ご神体 | 駒ケ岳 | |
創建時代 | 継体天皇年間(1500年ほど前) | |
創始者 | 不詳 | |
ご由緒 | 上古の代、関東に毛野一族が台頭し、赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、後に上毛野国と下毛野国に分れ、下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。休火山を背景として奉祀されたもので、赤城火山の外輪山にも駒形山があり、二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。
駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、コマをカラと歌った。当時の朝鮮は高麗朝時代であり、文化伝来の憧れの国でもあったのでコマということばを用い世間に誇示した。箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。このように赤城の神は駒形の神とも言える。坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。 平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。駒形の神を祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか想像することが出来る。かくして駒形神社の崇敬は華々しく、分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。 | |
歴史 | 歴史[編集] 当社は駒ヶ岳(焼石駒ヶ岳/駒形山)を祀る神社として、明治以前は駒ヶ岳山頂の本宮(奥宮)、北上市和賀町岩崎と金ケ崎町西根雛小沢の各里宮をして奉斎された[1]。水沢の現在社(水沢本社)は明治36年(1903年)の新設である[2]。それ以前の水沢本社の地は鹽竈神社(現・境内別宮)の境内地であった[2]。以下、駒形神社一般の歴史について概説する。 創建[編集] 創建は不詳で、様々な伝承が現在に伝えられている[3]。社伝の1つでは、雄略天皇(第21代)21年に、籠神社(京都府宮津市)から宇賀御魂大神を勧請して山頂に祀り、里宮に大宜津比売神と事代主神を配祀したが、のちに前記6柱とな...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「駒形神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A7%92%E5%BD%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100887751 |
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