さくらやまじんじゃ
櫻山神社
岩手県 上盛岡駅
盛岡市にある桜山神社へ行ってきました。
こちらの神社へは1、2年前に近くのもりおか歴史文化館へ二代目和泉守兼定(之定)の御刀を観に行った時に参拝させて頂いたのですが、その時は御朱印のみ頂戴し、御朱印帳は(ちょうど前には出していなかった)頂かなかったのですが…後で調べたら南部家の定紋である【向鶴紋】がでーん!とのった格好いい御朱印帳で『何で授けて貰わなかったの、自分!!』と後悔。
いつか、いつか…と思っていたのですが、今日ようやく参拝致しました…! 南部家の定紋があるとおり、南部家縁の方々が御祭神です。
創始は江戸時代中期の寛延二年(1749)。この前年は南部藩初代藩主(南部家26代)没後から150年に当たりますが、時の藩主利視公は参勤交代で江戸におり、帰国を待ってから法要を営み、信直公の御遺徳を偲び盛岡城内淡路丸(本丸の東側)に神殿を建立、勧請の儀式を行って「淡路丸大明神」として尊崇したことから神社の歴史が始まったとのこと。
その後文化9年(1812)に「櫻山大明神」と改称。
明治4年には新政府により、盛岡城が接収されることになり櫻山大明神も城外へ遷座することとなり、何度か遷座を繰り返し明治23年(1890)旧盛岡城地が特別縁故により南部家へ払い下げられることが契機となり明治32年(1899)に現在の地へ神社境内を造成、翌年に奉遷、鎮座され今日にいたるそうです。
さて、こちらは街中に比較的こじんまりとある神社ですが、賑わいが結構あり、本殿横の烏帽子岩も是非見て欲しいポイントです。
この日は盛岡市内でお祭りがあったのか「やーれやーれやーれやーれ」という掛け声と多くの山車と出会いました。
盛岡に来たなら桜山神社への参拝と冷麺を味わって下さい〜
ようやく手にした憧れの御朱印帳。
烏帽子岩。
結構大きいです!
神社の横に置かれた山車。こちらの山車は神社ある地区の山車だったようです。
前には無かった可愛いスタンプが今回はついてました。
スタンプの三日月が丸くなるまで南部領というのは「旅で三日月になる頃に南部領に入ると連日歩いても領地をでるのが満月になるまで日数がかかる(つまり領地が広い)」という所から来ているようです。
広げるとこんな感じの御朱印帳です。格好いい!
東北遠征の最後は盛岡駅から比較的ちかく、三ツ石神社の御朱印を櫻山神社でいただけるとの案内があったので立ち寄りました。
盛岡城が明治政府に接収された後、明治4年9月、御神体を盛岡市茄賀野村妙泉寺山に仮遷座、同10年5月20日に盛岡・下北山の聖寿禅寺跡に新社殿を造営し再遷座。この地域を今でも旧櫻山と称されるのはこのことに由来。明治14年1月、県社に列格。明治23年、旧盛岡城地が南部家に特別縁故によって払い下げられたことを契機に、旧盛岡藩士族また旧盛岡藩領民より、旧城地への遷座の機運が盛り上がり、盛岡城旧三の丸鳩森下曲輪跡(御蔵跡・勘定所跡)に明治32年神社敷地を造成。今日に見られる本殿、拝殿、神門
桜山神社の裏側にある階段を登っていくと、少し小高くなった所に、高さ6メートル以上もある大きな「烏帽子岩」が見えてきます。なんでも、南部藩第27代藩主・利直(としなお・1576~1632)の時代に盛岡城築城の工事中に出てきた大岩なのだとか。この烏帽子岩について案内板には、
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。
この場所が、場内の祖神さまの神域にあったために、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
と記されていました。利直は巨岩を見て良い兆しだと喜び、南部藩盛岡の宝大石として大切に祀ったそうです。
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