どうろくじん
道路衢神のお参りの記録一覧
宮中の月読社から車で1、2分のところにあります。学生時代はよく前を自転車で通りましたが、薄暗い神社というイメージしかありませんした。今は、明るく綺麗に整備された神社です。
国道51号線(旧道沿い)にあります。大きな木(神木)の下にある祠です。
境内にある大スダジイ。
小さいけど綺麗な赤の猿田彦大神神社。
交通の要所だったんですね。
猿田彦大神の妻はアメノウズメ(天宇受売命・天鈿女命)と言われています。こちらでも一緒に祀られていました。
さて、次は、鹿島神宮の末社の潮社に向かいます。車で2分くらいかなぁ。。。
鹿島神宮のすぐそばです。旧国道51号線沿いにあります。出勤前にサクッとお詣りして来ました。
ちょうど朝日が登っできたので、逆光になってしまいました。
鳥居と国道の間にも巨大なスダジイが。後ろに見える森は、鹿島神宮の樹叢です。
間近で見るとほんとうに大きいです。
旅立ちのとき竹筒に甘酒を入れお供えしたそうです。
鹿島サッカースタジアムから車で10分くらいの場所です。サッカー観戦の前にお詣りしてみませんか?
鹿嶋市宮中にある猿田彦大神にお詣りして来ました。
またまた、出勤前にサクッとお詣りしました。地元のSUZUKIさんや、シャギー……いや、クグル君もお詣りしているローカルヒーロー的な神社です。
今回は、神社の空間と、椎の木のデカさをアピールすることに徹します。
フツーの小さなお社です。
神社に興味なかったら毎日通っていても気づかない位風景に溶け込んでます。
でも、改めて向き合うと、その椎ノ木のデカイこと。
デカさだけで一回投稿出来るネタです。
オススメですので、神宮にお詣りしたついでにお詣りしてみて下さい。ついでと言ったら猿田彦様に失礼になってしまいますが、神宮は境外の神社をお詣りするといろいろな発見があって面白いですよ。
猿田彦様は道案内の神様として認知されていて、道祖神と同一視されることもあります。
画像の中央に道路標識で三叉路の看板が
見えるでしょうか?実際五つの道路がここに集約され、それぞれが放射状に道路がのびています。
次はこの道たどって行ったら何処に行きつくか?というテーマでお詣りしてみます。
鹿嶋市宮中地区にある猿田彦大神にお詣りして来ました。
旧国道51号線沿いに鎮座する猿田彦大神。鳥居の前には5方向(または6方向)に伸びる道。これをそれぞれ辿って見ようという!という思いつきではじめたお詣りです。
始まりは明石海岸の鹿島神宮東の一の鳥居です。
同時に、「浜の神社に湧水あり。」または「古い神社に湧水あり。」これを検証するお詣りもやっておりまして、併せてご紹介します。
鳥居から浜辺に降りて、海側から見ると、四角いトンネル状の構築物があります。
台地から流れる湧水や雨水を海に排水するもののようです。
ここから、鹿島台地へ遡ると、ちょうど灯台の下の辺り、旧51号線明石の信号付近、息栖神社、稲荷神社、愛宕神社、道祖神が集積してる場所から湧水がジャバジャバ流れています。
タケミカヅチの神とフツヌシの神が、この浜から上陸したという伝説が残っています。真偽はともかく、この流量の真水が存在すれば、早い時期から人が住み着いた土地であったのかな?ということは想像できます。
ここから、水源地迄に大きな神社などは無いのですが、地図で直線を引くと、神宮の摂社である坂戸神社があり関係を論じる方も多くいらっしゃいます。私もその論に乗っかりたいのですが、この投稿でも紹介しますが、ダイレクトに通ずる道が特定できず、説得力のある論に出来ないところで歯がゆい思いをしてます。
鹿島の鳥居は皮を剥いだだけの白木を使う素朴な造りで、正面からみて、左手に根本の太い部分がくるそうです。一般的には右側が太いようです。画像は、内側から見てますから、説明文と左右逆に写ってます。
明石の鳥居から台地に向かいます。正面に道祖神、右側に息栖神社、左側に愛宕神社と稲荷神社という配置になってます。山の斜面から先の台風の雨水がジャバジャバ流れています。普段も法面から染みだした水が道路を濡らす光景が見られます。
ここは道祖神があるので、道が分岐している場所または交通の要所と云えると思われます。
今回は宮中の猿田彦を目的地にしてるので、左に進路を取ります。道祖神の裏に坂戸神社方向に抜ける道があるのですが、直行してるとは言いがたい道であることと、現地に立つと流れ的にこっちかなというふうに見えるので、こちらを採用します。
明石の信号から神宮方向へ進めば、まっすぐ猿田彦までつながるので話はこれで終わりになってしまうのですが、敢えて右に進路を変えます。
神向寺です。まさにここから神宮に向かうという名称と立地になります。神宮の鬼門避けに作られたお寺だそうです。
神向寺から神宮方向へ伸びる道、バイパスが作られた為、行き止まりとなってますが、その先には阿波神社が見えます。ここの御祭神は猿田彦様です。
阿波神社の手前に道祖神も見られます。明らかに街道を照らすために作られた神社と言ってもいいのではないのでしょうか?
ここから神宮へ向かう道と、坂戸進路、沼尾神社へ向かう道とが分岐します。
進路を神宮方向へ。途中、清新学園付近に、御手洗池へ下りる分岐もありましたが、これといった遺構は有りませんでした。
猿田彦大神を通る道のひとつ、旧51号線は、明石海岸を含む南北に続く古道であることがわかりました。次は海に向かう道を辿って見ます。
鹿嶋市宮中地区にある猿田彦大神にお詣りして来ました。
前回は明石海岸から猿田彦様までの道のりを紹介しました。
今回は、海側に向かう道を紹介します。
神社を両脇を海側に向かう道があります。向かって右側の南へのびる道、これは、もとの道が細かったのか、現在は住宅地に阻まれルートが特定できず断念しました。延長線上にもそれらしき遺構は見つかりません。
では、左側は?というと、比較的、道らしきものが残っていて、途中、神宮と関係の深い遺構もあり、おもしろそうです。
行って見ましょう。まずは、国道のバイパスを横断し住宅地の細い道を進みます。途中無数に交差点があるのですが、悩まず、道なりにまっすぐ走れるのが意外でした。
住宅地を抜けると、大きめな道路に出ました。ここは現在でも五つの道が交差しています。道祖神が有ってもおかしくない場所なのですが、見あたりません。その代わりに、神宮の末社である「潮社(いたのやしろ)」がありました。ここから、海側の道を選択します。
踏切を越え、団地に差し掛かる頃には、道路は海に向けて緩い下り坂になってます。鹿島台地の末端、少しもり上がった山が鬼塚です。タケミカヅチが鹿島に上陸したあと、最初に国見をしたという伝説があり、鹿島神宮の境内の飛び地になってます。そして、何を隠そう、ここの地名は「高天原」です。
さらに進みます。坂の中程、鬼塚の真下に少しくぼんだ一画があります。
鹿島神宮七不思議のひとつ、「末無川」です。現在は、枯れてますが、以前は、水が音を立てて湧き上がり、その水は、いずれ何処かに消えてしまうという不思議な川だったそうです。
更に進みます。下津の海岸です。
何かの本で読んだのですが、昔、鹿島神宮の神職の方は、下津の海岸に住まい、海で身を清めてから神宮に出勤したと。(出典を探して蔵書をひっくり返してみましたが、見付からず、思い違いだったらごめんなさい😅)
今回たどった道が、神職さんの通勤路だとすると、鬼塚~潮社~猿田彦を通って、どの道から神宮に入ったのか?興味あります。
次は神宮へ続く道を辿ってみます。
鹿嶋市宮中地区にある猿田彦大神にお詣りして来ました。
猿田彦様から放射状に伸びる道。今回は、そのひとつ、神宮の森へ消える道を辿ってみます。
早速、警備員居るぞの看板です。
台風直後だった為、道端にギザギザ葉と謎の実が落ちてます。これは、あれ!松ぼっくりじゃなくて、ほら、恐竜がわしわし食べるあれ!
……思い出せません。😵💦
周囲をパノラマで360°撮影するとこんな道です。よいこと女子は絶対に独りで来てはいけません!
しばらく進むと、辺りが開け、鳥居のようなものが見えて来ました。
なんと!要石でした!
しかも、鳥居は猿田彦様に通ずる道に向いている!
要石だと、必ず地震避けに鯰を頭を……。という話になりますが、あんまりピンと来てません。もともと岩が珍しい土地に頭が丸く加工された岩が埋まってて、中はデカイんだ!と言われても…。
それよりは、御神体の前に拝殿がなく、もっとも原始的な神社の姿を見ることができることがありがたいと思うのですが…。
神宮ではここともうひとつ御手洗の池が、御神体に鳥居という最も原始的な形態を持っています。
要石です。
下津の浜から高天原、潮社、猿田彦へ通ずる道と、御手洗の池から要石に通ずる道、どちらも地形に沿って道なりに進んでいるような印象があります。それに対し、奥宮から本殿、楼門へ続く参道は人工的な印象があります。
むしろ、原始的な鹿島の社は要石周辺で、本殿側はあとから付け加えたものなのかもしれません。鹿島の大神の社もこの辺だったのではないのでしょうか?どうでしょう?SUZUKIさん。
帰り道にも謎針葉樹。萱(かや)か?いや思い出した!樅ノ木だ!クリスマスツリーだ!✨🎄✨
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