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水神社ではいただけません
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水神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2018年09月18日(火)
出勤前、お詣りして来ました。2回目の投稿になります。
ホトカミの投稿をするようになって、地域の歴史とかいろいろ調べるようになりました。(間違ったこと発信したらまずいしね ;^_^A)
前回何気なく投稿したんですが、ここわりと重要なポイントだったみたいで再びお詣りしました。
前回何気なく投稿したんですが、ここわりと重要なポイントだったみたいで再びお詣りしました。
朝のお詣りはすがすがしくて良いです。前回気が付かなかったのですが、社殿けっこう上げ底になっています。大水対策でしょうか。
ここ水神社があるのは、須賀地区です。須賀は砂地の古語らしいので水辺の州のような場所だったのでしょう。神社の裏手には田園風景が広がります。奥に台地状の山が見えますが、竜会城(りゅうげじょう)という城があったそうです。たまたま知り合ったおじさんが郷土史にめちゃ詳しい方で、竜会城(るかいじょうと発音されてました)は、流海(るかい)に別の字を充てたんだろうとおっしゃっておられました。
「ルカイ」は音読みだし、ネットでは「リュウゲジョウ」と読んでるし、「リュウ」じゃなくて「リョウ」じゃないなかなと思うんですが、でも、ここが流れ海だったという指摘は、目からウロコが落ちるほど感動しました。確かにここの谷津は、奥が広がってますが入口が巾着状にすぼまっており、古代から室町時代ごろまでは干満によってまさに「流れる海」だったのではないでしょうか。
話しはこれで終わりません。先ほどここの谷津の地形は巾着状といいましたが、実際は、入り組んだデコボコ状になっています。丁度、まな板に載せた豆腐に左手を乗せて押しつぶしたような地形になっています。水神社は手首の部分に位置し、竜会城は、親指と人差し指の間にあります。坂戸神社は、竜会城の付近にあり、小指と薬指の間には沼尾神社があります。「常陸国風土記」においては「天の大神社・坂戸社・沼尾社の三社を総称して香島天之大神という」とあり沼尾神社は、出雲で国譲りを終えた武甕槌大神と経津主大神が下津の浜から最初に訪れた地と言われています。人差し指の延長線上に下津海岸があります。鹿島神宮がないがしろにされてる感がありますが、鹿島神が現在の地に落ち着くまでに経由した地に諸説あり、(すでに投稿した)大生神社や高天原、跡宮などが候補に挙がってます。なにせ古代史なので定説が定まらないところがもどかしいところです。
親指の右側には鹿島神宮と関係が深いとされる宮中野古墳群があります。
また、北浦を挟んだ向こう岸には、防人が露営した甕森神社と、鹿島神宮よりも古く鹿島の本宮と言われる(こともある)大生神社があります。日本武尊も大生神社から鹿島の地に渡ったそうです。下津の海岸から須賀地区を通り大生神社を結ぶ線、すごく重要な気がしてなりません。そんな感じでお詣りした水神社ですが、長文になってしまいました。すいません。
すてき
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