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常陸二ノ宮 静神社のお参りの記録一覧
茨城県 静駅

神祇伯
2023年12月27日(水)
1339投稿

常陸国久慈郡の名神大社で、同国二宮です。字は違いますが全国に点在する「倭文神社」の1つで、建葉槌命さまを祀ります。『日本書紀』において武甕槌神・布都主神さま方が倒せなかった香香背男さまを服従させたとして、常陸国において鹿島神宮、香取神宮と同格の神社として扱われていました。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《一の鳥居と社号碑》

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《手水舎》
こちらには手水舎が表参道の道中に3つほどありますが、どれも水は流れていませんでした。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《表参道》
正月を目前にして芳名者入りの提灯が掲げられていました。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《拝殿》🙏
神紋は丸に変り山桜紋です。桜は「散る」ことから武士にはあまり好まれませんでしたが、神社には桜の名字を持つ神主家に使われていたそうです。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《織物組合の奉納提灯》
👁チェックポイント‼️
倭文神社は主に機織り技術を伝えてきた倭文氏が居住した地に祖神として建てられており、そのまま機織りの神様として崇敬されています。
特に当社は上述の通り神話の時代から常陸国と関係が深く、なおかつ名神大社として朝廷からも篤く信仰されていました。
現在もこのように縫製・紡績会社からの崇敬を受けています。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《本殿》
神明造…かと思いきや、棟持柱がないので切妻造になります。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《末社①》
こちらはたしか大黒天さまでしたが、何故か果物がたくさん置かれています。
神主さんに伺いましたが、基本的に末社には何もお供えしないらしいので参拝者の誰がお供えしていったと考えられます。
ちなみに果物はカリンらしいです。あんまり見かけない果物だったのは確か。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《末社②》

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《返納所と記念碑》
ちなみにこちらには年中問わず蛇のおみくじがありますが、これは当社の神使が蛇だからなんだとか。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

《白鳥とその他水鳥》
一の鳥居の向かいにある駐車場側の池に沢山いました。この時期には必ず渡ってきて、春が近づくと北へ行ってしまうそうです。

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惣一郎
2021年09月04日(土)
1269投稿

静神社(しず~)は、茨城県那珂市にある神社。式内社(名神大)で、常陸国二之宮。旧社格は県社。主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと;別名「倭文神(しどりのかみ)」)、相殿神は手力雄命(たぢからを)、高皇産霊命(たかみむすび)、思兼命(おもいかね)。

創建は不詳。『新編常陸国誌』では、平安時代初期の806年創建との社伝を載せる。『常陸国風土記』久慈郡の条に「静織(しどり)の里」とあり、上古に綾を織る機を知る人々が存在したことを示し、『和名類聚抄』には常陸国久慈郡に「倭文郷(しどりごう)」の記載があり、これらが地名、社名の由来となったと推測されている。
国史では、平安時代前期の885年に『日本三代実録』に「静神」の神階昇叙の記載がある。また927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「常陸国 久慈郡 静神社 名神大」に比定されている。
また、常陸国一之宮の鹿島神宮、三之宮の吉田神社とともに、二宮として崇敬を受けた。江戸時代には幕府2代将軍・徳川秀忠から神領150石の寄進を受け、その後水戸徳川家の祈願所となり、1667年に水戸藩2代藩主・徳川光圀が社殿を修造、9代藩主・徳川斉昭が火災で焼失した社殿を再建した。明治に入り、近代社格制度において県社に列格した。

当社は、JR水郡線・静駅の西南西1.5kmの小丘の上にある。境内南東端にある巨大な鳥居をくぐって境内に入ると、長い参道を少しずつ登りながら進み、神門をくぐると社殿周りの広い神域がひろがる。往古から一貫して大社であったことが伺える。

今回は、常陸国の式内社、二之宮ということで参拝することに。参拝時は週末の昼ごろで、真夏の炎天下であったためか、参拝者は自分たち以外に数人いた程度だった。

常陸二ノ宮 静神社の鳥居

境内入口の巨大な<一の鳥居(大鳥居)>と<社号標>。県道・日立笠間線脇にあって、南東向きに立っている。
鳥居の目の前には大きなため池<静留池>がある。

常陸二ノ宮 静神社の手水

鳥居とサイズ感を合わせたような、巨大な<手水舎>。屋根の造りもしっかりしている。

常陸二ノ宮 静神社の建物その他

参道右手の樹木の下にひっそり立っている、明治時代の旧<社号標>。

常陸二ノ宮 静神社の鳥居

階段を少し上がって<二の鳥居>。こちらは銅製かしら。

常陸二ノ宮 静神社の建物その他

緑に囲まれた参道を進んでは階段を登り進むと、やがて<神門>が見えてくる。
階段は合計150段ほどあるが、参道を挟みながら徐々に上がるのできつくない。

常陸二ノ宮 静神社の山門

端正な風貌の<神門>。気持ちが引き締まる。

常陸二ノ宮 静神社の山門

神門には<静大神宮>の扁額が掛かる。

常陸二ノ宮 静神社の本殿

<拝殿>全景。江戸時代末期1841年の火災で焼失後、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公が再建。屋根に厚みがあって、ボリューム感のある建物。

常陸二ノ宮 静神社の本殿

拝殿も立派だと思ったが、かなり驚いたのがその背後にある<幣殿・本殿>。非常にきれいに整備されていて、幣殿はかなり長く、本殿は拝殿と同じぐらい大きい。こちらも江戸末期に徳川斉昭公が再建。

常陸二ノ宮 静神社の自然

拝殿向かって右手にある<御神木>。幹の太さが半端なく極太。黄色に塗られた添え木が鳥居の形になっている。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

御神木の裏手にある境内社。表札がなく社名は分からない(HPにも記載なし)。

常陸二ノ宮 静神社の自然

社殿の右手にある<元御神木>。江戸末期、天保年間の火災で枯死。

常陸二ノ宮 静神社の自然

生木の時は<千度杉>と呼ばれ、願掛けして周囲を千度回る習慣があったとのこと。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

社殿右手奥にある境内社。

常陸二ノ宮 静神社の末社

本殿裏にある境内社群。

常陸二ノ宮 静神社(茨城県)

社殿の右手奥にある、末社<手接足尾(てつぎあしお)神社>への入口。

常陸二ノ宮 静神社の自然

入口をくぐって左方向に進む。森は深いがちゃんと参道になっていて、徒歩3分ほどで着く。

常陸二ノ宮 静神社の末社

こちらが<手接足尾神社>。手足の健康を守護する神として、昔から手差しや草履を納めて祈願する風習がある。

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まさ
2019年12月27日(金)
609投稿

2019年5月25日に参拝した時のものです

駐車場からは階段が続き
友達がバテバテになっているのを笑いながらも何とか神社に到着
お参りを済ませて社務所で御朱印をお願いすると
出てきた宮司さん
機嫌が悪いのかな??と思うような感じで
女性だと怖さも感じてしまうかも!

静神社でググってみると宮司さんの対応に悪評もあるようで
賛否両論あると思いますが
自分もあれ??とおもうところがあったので書かせてもらいます

御朱印を書いていただくと まず
御岩神社の御朱印を開いて
常陸国最古霊山寺と押されている朱印を これ分かる??と言われ
はぁ?? 何でしょうと言うと
これ 筑波山のことだよ 地元じゃ皆 笑っちやってるよ!
こんなの書いて!
また 他の御朱印も こんなプリントなんて!など
話の殆どが他社の批判的な話でした

例えプリントに社印を押した御朱印だとしても
信仰は人それぞれの自由だし
何かしら惹かれるものがあってお参りしているのだから
それを口に出して言ってしまう宮司さんの対応は残念でしたし
もう静神社へはお参りしようとも思いませんでした

社殿は立派なのに ちょっと残念な神社でした

投稿するか迷ったのですが
個人的な思いですが参考までに投稿しました

静神社でググってクチコミを見ると
同じように他社の事を悪く言われたと書かれている人も多数いました

自分ももう二度と行くことはないです

常陸二ノ宮 静神社の御朱印
常陸二ノ宮 静神社の鳥居
常陸二ノ宮 静神社の手水
常陸二ノ宮 静神社の鳥居
常陸二ノ宮 静神社の建物その他
常陸二ノ宮 静神社の山門
常陸二ノ宮 静神社の本殿
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