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らいごういん|天台宗法華山

来迎院
茨城県 入地駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり 境内

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くし
2023年05月17日(水)
1450投稿

霞ヶ浦方面は今回は予定範囲外だったので牛久大仏より北や東には行かず、再び南の龍ヶ崎に戻りました。
4時近くなったので受印可能寺社はあと一つが限界だろうと考え最後の行き先を検討、なんとなくここを選ぶ。

・・・大当たりでした☆(*゜Д゜*)
ご覧のとおり御朱印は金泥、小さめのお寺ですが重要文化財の多宝塔ありと見処も満載♪
さらにWikipediaによると、ここが女化神社のもと別当(というか管轄してたお寺)だったらしく、女化霊狐様との奇縁も確実に感じられたw (*´∀`)
御住職が庭仕事中だったのですが、御朱印をお願いしたところ快く対応してくださいました。

龍ヶ崎にはまだまだ魅力的な寺社があるし、マッタリと走りやすいところなのでぜひまた再訪したいですね♪
例えば龍ヶ崎八坂神社に行く途中、駅近くで米町薬師堂というかなり大きなお堂前を通ったのですが、駐車場がわからず寄れなかったとか「呼ばれたけど召喚に応じられなかった寺社」みたいのも結構あるのでw
主要な神社は回ったので次回は寺中心だな。

来迎院の御朱印

なんと金泥の直書き!Σ(*゚Д゚*)
しかも限定とかじゃなく通常印です

来迎院(茨城県)

このお寺で何より目を引くのが国指定重要文化財の多宝塔
「この建物の全貌を礼拝すれば、功徳莫大にしていかなる願いも叶う」だそうです☆

来迎院の建物その他
来迎院(茨城県)

多宝塔の裏側には涅槃像

来迎院の地蔵

多宝塔の向かいには六地蔵

来迎院の山門

仁王門

来迎院(茨城県)

仁王像が、質感といい造形といいフィギュアをそのまま原寸大にした感じw

来迎院(茨城県)
来迎院の建物その他

駐車場の隅に弁天様、稲荷さん、お地蔵さん、お不動さんが並ぶ
時間がなかったのと少し雨が降ってきたのでまとめて遥拝(^^;

来迎院(茨城県)

鐘楼
鐘突きOKだったみたいですが、さすがに自分一人だったのと御住職が庭仕事中だったので断念w

来迎院の建物その他
来迎院(茨城県)

身代わり洗い観音
帰って数日後が胃カメラと腸カメラなので、腹部に水を掛けさせてもらいましたw
何にも出てきませんように(-人-)

来迎院の仏像

後ろは、とげぬき招福観音と願掛け地蔵尊
小さなお寺ですが、様々な功徳を持つ諸仏・諸尊があってなかなか楽しい♪

来迎院(茨城県)

洗心水
手水かと思いましたが、飲んで内側から体を清めるらしいです
今回は水が出てなかったので省略(^^;

来迎院(茨城県)

左に涅槃堂

来迎院(茨城県)

本堂

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来迎院の基本情報

住所茨城県龍ケ崎市馴馬町2362
行き方
アクセスを詳しく見る
名称来迎院
読み方らいごういん
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0297-62-3474
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://hayasida2000.wixsite.com/ryugasakiraigouin

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号法華山
院号来迎院 (寺号)寶塔寺
宗旨・宗派天台宗
創建時代1517年(永正14年)
文化財

多寳塔(国指定重要文化財)

ご由緒

永正14年(1517年)、常陸国河内郡小野村(現・稲敷市小野)の逢善寺によって、同郡馴馬村に建てられた草堂が当寺の起源と伝える。弘治2年(1556年)、延暦寺の覚仙が当地に伽藍を建立し一世となった。以後の歴史は判然としないが、江戸の寛永寺の援助で堂宇の再興が行われており、同寺との関係が深かったものと推定される。

寛永8年(1631年)玄幸が再興し、寛政3年(1791年)、寛永寺から二百両を拝領して庫裡・本堂が再建されている。

体験御朱印重要文化財

Wikipediaからの引用

概要
来迎院(らいごういん)は、茨城県龍ケ崎市にある天台宗寺院。山号は箱根山。箱根山宝塔寺来迎院と号する。
歴史
歴史[編集] 永正14年(1517年)、常陸国河内郡小野村(現・稲敷市小野)の逢善寺によって、同郡馴馬村に建てられた草堂が当寺の起源と伝える。弘治2年(1556年)、延暦寺の覚仙が当地に伽藍を建立し一世となった。以後の歴史は判然としないが、江戸の寛永寺の援助で堂宇の再興が行われており、同寺との関係が深かったものと推定される。[1] 寛永8年(1631年)玄幸が再興し、寛政3年(1791年)、寛永寺から二百両を拝領して庫裡・本堂が再建されている。 ^ 『月刊文化財』519号、pp.9 - 10
引用元情報来迎院 (龍ケ崎市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E9%99%A2%20%28%E9%BE%8D%E3%82%B1%E5%B4%8E%E5%B8%82%29&oldid=89942785

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