かんださんえんめいいん
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神田山延命院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月26日(日)
将門が、かつて、まさに勇躍活動した地にある、真義真言のお寺さん。山号は神田山如意輪寺延命院、また篠越山延命院観音寺とも言うそうです。
ご本尊は延命地蔵菩薩。「延命院復興記」碑では、開基は京都東寺の僧宗助、中興の祖は来世法師。
境内の不動堂の裏に、言われないとわかりませんが円墳があり、この塚を将門山、または神田山と言うそうです。
天慶3年(940)2月14日の合戦で、藤原秀郷・俵の藤太に打ち取られ、首は京都に送られ、残された胴体はひそかに神田山の延命院境内に葬られたという、言い伝えがあるのがこの胴塚。
相馬御厨の神領だったこの地は、ひとから隠されたがゆえに現在まで残されているとのこと。
その胴塚には大きなかやの木があり、またそのとなりに、昭和50年に将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆があります。
いにしえの伝説が事実として実感できるような雰囲気の境内。
毘沙門堂、観音堂、共同墓地が不思議な間隔で配置されております。
胴塚の摩訶不思議な状態は、筆舌に尽くしがたい。まさに異次元。
昼なお薄暗い境内なのですが、山門の外へ目を向けると白いソバの実?の花が周囲を明るくして、こころが軽くなります。
石仏のお大師様の表情が、わたしにはいい感じです。
それと共同墓地なのですが、入り口門の門柱に、
延命院 密厳浄土 と記銘があり、ひとめで気に入りました。わたくしも、密厳浄土、で眠りたい‼️
寺族の方と地域の名主的な家族の墓地は、区画が他と分けられていて、入り口には○○家、○○家、、、と札があり、分譲墓地とは一線を画しているところが、発見でしたね。
こちらに示されている○○家の苗字は、帰りの道々あちこちに見られました。お寺さんとそれらの家々との、むかしからの強いきずなが感じられました。
丁度お彼岸時期だったので、そちらをお詣りすることはできなかったのですが、いつかは碑のひとつ一つをお見せいただきたいです
ご本尊は延命地蔵菩薩。「延命院復興記」碑では、開基は京都東寺の僧宗助、中興の祖は来世法師。
境内の不動堂の裏に、言われないとわかりませんが円墳があり、この塚を将門山、または神田山と言うそうです。
天慶3年(940)2月14日の合戦で、藤原秀郷・俵の藤太に打ち取られ、首は京都に送られ、残された胴体はひそかに神田山の延命院境内に葬られたという、言い伝えがあるのがこの胴塚。
相馬御厨の神領だったこの地は、ひとから隠されたがゆえに現在まで残されているとのこと。
その胴塚には大きなかやの木があり、またそのとなりに、昭和50年に将門首塚から移された「南無阿弥陀仏」の石塔婆があります。
いにしえの伝説が事実として実感できるような雰囲気の境内。
毘沙門堂、観音堂、共同墓地が不思議な間隔で配置されております。
胴塚の摩訶不思議な状態は、筆舌に尽くしがたい。まさに異次元。
昼なお薄暗い境内なのですが、山門の外へ目を向けると白いソバの実?の花が周囲を明るくして、こころが軽くなります。
石仏のお大師様の表情が、わたしにはいい感じです。
それと共同墓地なのですが、入り口門の門柱に、
延命院 密厳浄土 と記銘があり、ひとめで気に入りました。わたくしも、密厳浄土、で眠りたい‼️
寺族の方と地域の名主的な家族の墓地は、区画が他と分けられていて、入り口には○○家、○○家、、、と札があり、分譲墓地とは一線を画しているところが、発見でしたね。
こちらに示されている○○家の苗字は、帰りの道々あちこちに見られました。お寺さんとそれらの家々との、むかしからの強いきずなが感じられました。
丁度お彼岸時期だったので、そちらをお詣りすることはできなかったのですが、いつかは碑のひとつ一つをお見せいただきたいです
すてき
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弘法 真魚197投稿
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