むねとうじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方宗任神社のお参りの記録一覧
絞り込み



香取神社様の本務社。
総社宗任神社様へ。
近所にある宗任神社とは違うのでご注意を。
実はこちらの神社には今回で3回目のお参り。
しかし、過去2回は御朱印頂けず(昼休憩中となっていました。(14時半なのに?))。
まさか、今回もと思いながら今入りを済ませて社務所へ。
やはり、昼休憩の案内が。(いや、もう14時過ぎてるし…。)毎回のはずがないとチャイムを押すも誰も出てこず。
当たり前といえば当たり前ですが、全く人の気配がない…。
今回は意を決して連絡先の電話番号にかけて、御朱印を頂けるかお伺いしたところ
「今、神社にいらっしゃるのですね。」と「御朱印対応できる?」と電話向こうで話されていて、
「では、すぐに行きますのでお待ちください。」とのこと。
こちらの神社、兼務社の数が多くて約30社。
そこに兼務社の摂社も入るのですから40社くらいあるのかもしれません。
若い男性が走ってこられて、御朱印ご対応いただき
兼務社(香取神社)の摂社(青龍神社)の書置き御朱印が現地で在庫切れしていたので
書置きの事をお伺いしたところ、「宮司がいなくて、わからなくて申し訳ありません。」とのことでした。
(跡継ぎ勉強中のお孫さんだと思います。)
ご対応いただく際には、所在地と神社の神璽の組み合わせで兼務社の御朱印を書かれているようで
スマホで確認しながら押し間違えないように注意されていました。(すごいパズル作業…)
御朱印帳には指紋(掌紋)がついてしまっていましたが、これも勉強中ならではですね。
次回は、電話をかけてからお伺いしようと思います。



茨城県神社巡り⑤ 宗任神社参拝⛩
下総国結城郡神玉巡拝
御祭神 安倍宗任公(あべむねとうこう)安倍 貞任公(あべさだとうこう)
平安時代後期に陸奥国でおこった 前九年の役(1051~61年)で源頼義の軍勢に敗れた安倍宗任公を祀った神社。
縁起記に天仁2年、安倍氏の臣松本七郎秀則・息八郎秀元が亡君宗任公の神託により旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地(旧黒の里)来往して鎮齊した。鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を 行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。







私事ではございますが、記念すべき500投稿をどこにしようか、迷っていましたが、とっておきのエピソードを耳にしたので、こちら宗任神社に決めました。
日本一早い豆まき!だけではございません。

道路脇に立つ石屋さんと神社の看板にも、大きく書かれています。
豆まきはI月11日に行われます。

駐車場が見当たらず、交差点の脇の広い部分に止めました。
都市開発のため、境内を割るように道路が開通したようです。
昔は大変広い敷地だったそうです。
ご祭神は阿部宗任、貞任。

宗任神社(むねとう~)は、茨城県下妻市にある神社。旧社格は村社。祭神は、安倍宗任公(あべむねとうこう)と安倍貞任公(あべさだとうこう)の2柱。
創建は平安時代末期の1109年、前九年の役で源頼義の軍勢に敗れた安倍宗任公を祭神として、遺臣の松本七郎秀則、息八郎秀元が遺品の青龍の甲冑などを奉じて創建。鎌倉時代には豊田郡33郷と幸嶋(猿島)12郷の総社として繁栄し、地方豪族の小田氏治、豊田将基からも崇敬を受けた。江戸時代には、徳川三代将軍家光公から朱印地5石、本殿拝殿の寄進を受けた。当時から、子供の虫封じに御利益があるとされた。明治時代になると、近代社格制度の下、村社に列した。
当社は、関東鉄道常総線・宗道駅の北方500mの市街地にある。県道357号線という大通りに面していて、境内南端には大きな鳥居や社号標があり辿り着きやすい。境内は一般的な旧村社のサイズだが、神主さん常駐のため、生き生きとした感じがしている。
今回は、下総国式内社の桑原神社の御朱印を拝受するために、兼務する当社に参拝することに。参拝時は週末の午後、参拝者は自分以外には誰もいなかった。
もっと読む茨城県のおすすめ🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ

























































