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こやすじんじゃ

子安神社
公式茨城県 高浜駅

〇参拝時間
日の出から日没

〇御朱印授与時間
午前9時~午後4時

子安神社について

〇車にて御参拝いただく場合
長い参道がありますが、車に入っていただいて大丈夫です。車は社務所前のスペースにお停めください。

〇地鎮祭など、各種外祭承ります。https://is.gd/2tbaoMからお問い合わせ願います。

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惣一郎
2021年11月17日(水)
1269投稿

子安神社(こやす~)は、茨城県かすみがうら市東野寺にある神社。式内論社。主祭神は武甕槌命、木花開耶姫命。

社伝によると、平安時代初期の807年、常陸国の鹿島大神と駿河国富士浅間大神の分霊を祀り創建。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「常陸國 茨城郡 夷針神社 小」の論社とされ、他の論社としては、夷針神社(東茨城郡茨城町)、飯綱神社(笠間市・愛宕神社境内社)、足尾神社(石岡市)、胎安神社(かすみがうら市西野寺)がある。1055年、源頼義、義家父子が奥州征伐の途上、義家が奥羽鎮定と内室の安産を祈願し、1063年に凱旋の折、当社に報賽、社殿修繕等を行った。現在の拝殿、本殿ともに江戸時代前期の建立。江戸時代以降、関東各地で「子安講(十九夜講)」が組織され、信仰を集めた。

当社は、JR常磐線・石岡駅の南西3kmの畑や果樹園が広がる緩やかな丘陵地の住宅街の外れにある。当社と同じ「夷針神社」の論社である胎安神社とは500mも離れておらず、由緒が似ているのも面白い。大通りの信号から少し入ると北向きの鳥居があり、そこから両側に古木が立ち並ぶ長い参道を南に進むと社殿や社務所がある。社殿周りに苔がびっしり根を張っていて、歩くとふかふか、境内全体が黄緑色の絨毯の上にあるように見えるのが特徴的。

今回は、常陸国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には誰も参拝者はいなかった。

子安神社の建物その他

境内北端入口にある<社号標>。当社は珍しく社殿が北を向いている。

子安神社の鳥居

参道を南に少し進むと<鳥居>がある。左側の巨木が魅力的。

子安神社(茨城県)

参道はけっこう長い。左側は古い木々が立ち並ぶ林で、右側には木々もあるがそばを細い道が通っているため明るい。

子安神社の建物その他

遠くに社殿が見えてくる。光の入り具合で木々の葉が若葉のような明るい黄緑色になっていて幻想的。

子安神社の建物その他

参道の右手にある<社務所>。御朱印はこちら。

子安神社の本殿

参道を進むと、右側に極太の切株が現れる。これは立派!(o^―^o)

子安神社の本殿

<拝殿>遠景。社務所のあたりから社殿にかけて、地面が一面<苔>に覆われている。ふかふかの絨毯の上を歩いている感覚。これは見事!

子安神社の手水

参道右側の、2本柱の簡素な<手水舎>。

子安神社の本殿

<拝殿>全景。江戸時代前期の1673年建立。彩色はなく、彫刻も最小限で質素な佇まい。

子安神社(茨城県)

扁額が掛かる中央の位置には、不思議な額が掛かっている。なんだろう?

子安神社の本殿

<社殿>全景。うしろの本殿は覆屋のようだが、拝殿と同じぐらい大きい。

子安神社の本殿

屋根の下には壁がなく、本殿がよく見える。本殿は江戸時代初期の建立と伝わる。

子安神社の芸術

本殿の側面には、繊細な彫刻が施されている。なかなか美しい!(^▽^)/

子安神社の本殿

当社の社殿周りの苔は素晴らしい。ふかふか具合がクセになる。

子安神社(茨城県)

社務所で御朱印をお願いすると、待っている間に読んでくださいと、当社が紹介された雑誌を渡された。『トランヴェール』という、JR東日本のグリーン車に置いてある雑誌の2020年11月号に紹介されていた。

子安神社の建物その他

苔に覆われた社殿周りといい、緑の変化が楽しめるながーい参道といい、当社独特な雰囲気を楽しめるところが良い。

子安神社(茨城県)

境内入口に戻って、この時点で16:00。11月初旬のこの時期は16:30には暗くなり始めるので、急いで帰らなきゃ。(^▽^)/

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例祭・神事

9月3日:子安神社例祭/子安神社講中(子安講)祈願祭を斎行

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歴史

大同2年(807年)
駿河国富士浅間大神と鹿島大神の御分霊を鎮齋。

天喜4年(1056年)
源頼義・義家公父子奥州御討征の途次、再度にわたる御参拝で奥羽鎮定と奥方の安産を祈願。

康平6年(1063年)
征奥の大任を終え凱旋の折り、神護天祐のあらたかであったため、当社に報賽、社殿修営祭祀料の寄進をして源家累代尊襲すべきものと定めた。

棟札に残る造営の記録として、拝殿造立が寛文13年(1673年)とあり、本殿はそれ以前江戸初期の建立と云われ、以来建て替えられていない。

当社は、常陸国延喜式内社28座の1つ、茨城郡「夷針神社」の論社となっている。

※常陸国延喜式内社とは
延長5年(927年)に編纂された「延喜式」の巻九・十「延喜式神名帳」に記載された神社。全国2861社、3132座。単に「式内社」または「式社」ともいう。

※論社とは
現代において「式内社」の末裔社が判らなくなり、複数の末裔ともくされる神社が在る場合、それぞれの神社を「論社」という。

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子安神社の基本情報

住所茨城県かすみがうら市東野寺252
行き方

常磐道・千代田石岡ICより5分、6号国道石岡方面へ、西野寺歩道橋右折500M 6号国道石岡方面より恋瀬川を渡り神立方面へ。左折500M先、点滅信号左折。

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名称子安神社
読み方こやすじんじゃ
参拝時間

〇参拝時間
日の出から日没

〇御朱印授与時間
午前9時~午後4時

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
ホームページhttps://www.koyasujinja.jp/
SNS

詳細情報

ご祭神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
大山津見神の娘。邇邇芸命と結婚し、火照命、火須勢理命、火遠理命を産み育む。安産の守護の神、夫婦和合の守護神とされ、富士浅間の神として讃えられている。

・武甕槌命(たけみかづちのかみ)
伊弉諾尊が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から産まれた神。高天原から葦原中津国に派遣され、国譲りの交渉に成功。また、神武東征においても、天皇の危難を救った。雷神・剣神・武神とされ、鹿島神宮・春日大社に祀られている。
創建時代大同2年(807年)
ご由緒

大同2年(807年)
駿河国富士浅間大神と鹿島大神の御分霊を鎮齋。

天喜4年(1056年)
源頼義・義家公父子奥州御討征の途次、再度にわたる御参拝で奥羽鎮定と奥方の安産を祈願。

康平6年(1063年)
征奥の大任を終え凱旋の折り、神護天祐のあらたかであったため、当社に報賽、社殿修営祭祀料の寄進をして源家累代尊襲すべきものと定めた。

棟札に残る造営の記録として、拝殿造立が寛文13年(1673年)とあり、本殿はそれ以前江戸初期の建立と云われ、以来建て替えられていない。

当社は、常陸国延喜式内社28座の1つ、茨城郡「夷針神社」の論社となっている。

※常陸国延喜式内社とは
延長5年(927年)に編纂された「延喜式」の巻九・十「延喜式神名帳」に記載された神社。全国2861社、3132座。単に「式内社」または「式社」ともいう。

※論社とは
現代において「式内社」の末裔社が判らなくなり、複数の末裔ともくされる神社が在る場合、それぞれの神社を「論社」という。

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