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祭神は誉田別命。神亀5年(728)に建立されたと伝えられる。永保2年(1082)八幡太郎源義家が奥州征討の折,当社に朝敵退散を祈願したと伝えられる。応永2年(1395),太田道灌が参拝し,武運長久を祈願した。天正18年(1590)に佐竹義宣が府中を攻略した際に焼失したが,慶長7年(1602),別当福蔵坊と伝える僧が本社並びに拝殿を建立する。また,寛永4年(1627),皆川山城守,寛文5年(1665)領主松平伊勢守,そして元文年間(1736~1740)の頃,別当欽長法印が改築している。(石岡市のページより)
室町時代、この神社は府中城内の神社で、下志筑にも国府の八幡神社があったとも伝えられている。下志筑の地は国府(府中)の一部であった。境内には回国供養塔という石碑がある。近代になって京の馬場(若宮4丁目から府中中学校近辺)の摩利支天が合祀された。 室町時代当時の町名を『長法寺(長峰寺,長宝寺)』、宝永年間(1704-1711)に佳名をとって若松町と改名、昭和まで使用された。 町名の由来となった長法寺は室町時代頃からあったが、明治3年(1870)の火事で焼失。長法寺に安置されていたと伝えられる十一面観音像は馬頭観音石碑と共に石岡市若宮一丁目八に保存されている。 天正18年(1590)に佐竹義宣が府中を攻略した際に焼失したが、慶長7年(1602)、別当福蔵坊と伝える僧が本社並びに拝殿を建立する。また寛永4年(1627)、皆川山城守が拝殿建立。寛文5年(1665)領主松平伊勢守が本殿拝殿を修造。 そして元文年間(1736~1740)の頃、八幡神社を管理していた天台宗東耀寺末の若宮山八幡寺別当欽長法印が改築している。明治2年の神仏習合禁止令により、別当から現在の管理へ移行したと思われる。 毎年10月第二月曜日には若宮八幡宮例大祭が執り行われる。
こちらの神社は、参拝するまで太田道灌に関係するとは知らずにいた。茨城県と言ったら、江戸城から遥か遠く。こんな所まで来られて祈願したのか、と感動するのであった。
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境内・文化財をもっと見る|若宮八幡神宮の基本情報
| 名称 | 若宮八幡神宮 |
|---|---|
| 通称 | 若宮八幡神社 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》誉田別命 |
|---|---|
| 創建時代 | 神亀5年 |
| ご由緒 | 奈良時代の神亀5年(728年)に創建。永保3年(1082年)、八幡太郎義家が陸奥国に遠征に赴く際、立ち寄り参拝。応仁3年(1395年)、太田道灌が参拝。天正18年(1590年)、佐竹義宣の府中城攻めの折に焼失するも、慶長7年(1602年)に再建。 |
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