おおいじんじゃ(たろうじんじゃ)
大井神社(太郎神社)のお参りの記録一覧
御祭神である神八井耳命(かむやいみみのみこと)。
八つの井戸と耳をもつ、聡明で慈悲深い神様で、八つは末広がりとか、七転び八起きを意味するそうです。
なんだか、始めて聞いたお名前だけれど、とっても縁起のいい神様なんですね。ちなみに神武天皇の次男だそうですよ。
別名、太郎神社といわれ、太郎は神八井耳命の名前だそうです。
遠くから見ると秘密のダンジョンの入り口みたいです。
大同元年(806)創建
由緒ある神社です。
開運参道だって( ◠‿◠ )
親子杉
3本仲良く並んでいるけど、根っこは繋がっているんだって!
参道の木立の切れ目から、素敵な青空が見えました
しっとり苔むした参道です。
遠くに社殿が見えます。
境内に入り振り向くと開運参道の看板の横に何かある!
これ!何!
笠間焼みたいです。
右にある建物
宣命殿
社務所のようなものでしょう。
そして拝殿
拝殿前はぬかるみにならないように、シートが敷いてあって、歩きやすいです。
屏額は太郎明神
四社中の一宮だそうです。
拝殿前に宮本武蔵のお言葉があります。
剣の道だけではなく、何事にも通じることだと思います。
本殿
上部しか見えませんが、凝った造りです。
境内社
社殿の左を進むと駐車場がありました。
大井神社(おおい~)は、茨城県笠間市にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は、神八井耳命(かんやいみみ)。別名は「太郎明神」。
社伝によると、平安時代初期の806年に勅宣により当地(常陸国那珂郡大井村和体ヶ峰)に社殿を造営し、「大井大明神」と称したとしている。当社付近は古代、常道仲国造が治めた地域であることから、仲国造の祖先にあたる神八井耳命(初代神武天皇の皇子で、二代綏靖天皇の兄)を祀ったと考えられている。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「常陸国 那賀郡 大井神社 小」の論社となっており、他の論社としては茨城県水戸市にある大井神社がある。
当社は、JR水戸線・笠間駅の北東4kmの田園地帯の中の小高い森の中にある。境内南端の鳥居から両側に木々が立ち並ぶかなり長い参道が続き、開けると社殿、社務所などがある。社殿周りはこぢんまりとしていて<ザ・村の鎮守>といった感じ。
今回は、常陸国の式内社、茨城県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外には参拝者はいなかった。
※社殿の左側から境内を出て、少し離れたところに宮司さん宅があり、そこで御朱印を拝受できる。
境内南端にある入口。写真の左側も右側も樹木が全くないので、場所は分かりやすい。
離れて立っている<鳥居と>と<社号標>。写真右下にある<社号標>は低くて分かりにくいが<延喜式内 大井神社>とある。
森の入口といった感じの<鳥居>。珍しいオレンジ色が特徴的。扁額には<大井神社 四所一宮 太郎明神>とある。
鳥居をくぐると、参道は森の小道となっていて、途中階段を挟みながら進む。
こちらの3本の杉は御神木で<親子杉>と名付けられている。
かなり幹が太い杉の木が、参道両側にずらっと並んでいる。並木の外側は木々がカットされているので、参道は意外と明るい。
この参道はかなり長く、200mほど進んだところで、やっと遠くの突き当りに社殿らしきものが見えてくる。
社殿が近づくと、参道両側の木々が増えてくる(境内の幅が広がってくる)。この辺りから社殿にかけて、参道は苔むした状態になっている。
参道右側に現れる<社務所>。ここに宮司さん宅の連絡先が記載された紙が貼ってある。
社務所前から見た<拝殿>遠景。木々にすっぽり囲まれている。
拝殿左側にある<手水舎>と、境内社の<三峯神社>と<八龍神社>。
<拝殿>全景。屋根を含め、全体に赤銅色に見える。屋根は落葉などなくきれいにしてあって、正面の注連縄もびしっと決まっており、手入れが行き届いている。
拝殿正面の<扁額>。ここだけちょっと残念で、板切れに墨の手書き。
拝殿後ろの<本殿>。威風堂々、彫刻も細かく入っていて、想像以上に立派。
社殿の左側にも入口があって、宮司さん宅はそちらからの方が近いが、10分以上歩きそうなので、参道を300m戻ってバイクで訪問する。
鳥居前の景色はこんな感じ。心が洗われる、非常に美しい田園風景~♪ (^▽^)/
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