しょうふくじ
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正福寺ではいただけません
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正福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月04日(土)
参拝:2020年8月吉日
正福寺(しょうふくじ)は、茨城県笠間市にある普門宗(真言宗系単立)の寺院。山号は佐白山(さしろさん)。本尊は千手千眼十一面観世音菩薩。別名「佐白観音」。坂東三十三観音霊場23番札所。
寺伝によると、飛鳥時代の白雉2年(651年)、粒浦(つうら)氏という狩人が佐白山を守る白雉、白鹿、白馬に導かれて霊木を得て、千手観音像を刻んで安置したのが始まりで、当時の山号は三白山と号した。のちに考徳天皇の勅願寺となり、鎌倉時代初頭までには関東有数の観音霊場となっていた。鎌倉時代の1214年に笠間氏の焼討に遭い焼失したが、その後笠間氏の帰依を得て笠間城内に再建され山号を佐白山と改めた。400年の繁栄の後、笠間氏の衰退とともに寺運も衰え、1590年に宥明により再興され勝福寺と改称したが、江戸時代の1686年に正福寺となった。明治になり、神仏分離に伴う廃仏毀釈により焼き払われ衰微したが、昭和に入り1930年仮本堂が建てられ、信徒によって難を逃れていた本尊、諸仏、寺宝の一部が戻された。しばらく寺号を「観世音寺」と称していたが、2012年に「正福寺」に戻した。
当寺は、JR水戸線・笠間駅の北東2kmのやや小高い場所にある。笠間稲荷神社までは700mほどで、境内入口の道を挟んで反対側に神社の大駐車場がある。境内の参拝エリアはさほど広くなく、高低差もさほどない。笠間稲荷神社と合わせて参拝する人が多いのか、参拝者はちらほらいて、境内もきれいにされていて、ちょっとした公園のような雰囲気。
今回は、坂東三十三観音霊場の札所として参拝することに。参拝時は週末の午後で、真夏の炎天下にもかかわらず、自分たち以外もほかの参拝者が数組来ていた。
寺伝によると、飛鳥時代の白雉2年(651年)、粒浦(つうら)氏という狩人が佐白山を守る白雉、白鹿、白馬に導かれて霊木を得て、千手観音像を刻んで安置したのが始まりで、当時の山号は三白山と号した。のちに考徳天皇の勅願寺となり、鎌倉時代初頭までには関東有数の観音霊場となっていた。鎌倉時代の1214年に笠間氏の焼討に遭い焼失したが、その後笠間氏の帰依を得て笠間城内に再建され山号を佐白山と改めた。400年の繁栄の後、笠間氏の衰退とともに寺運も衰え、1590年に宥明により再興され勝福寺と改称したが、江戸時代の1686年に正福寺となった。明治になり、神仏分離に伴う廃仏毀釈により焼き払われ衰微したが、昭和に入り1930年仮本堂が建てられ、信徒によって難を逃れていた本尊、諸仏、寺宝の一部が戻された。しばらく寺号を「観世音寺」と称していたが、2012年に「正福寺」に戻した。
当寺は、JR水戸線・笠間駅の北東2kmのやや小高い場所にある。笠間稲荷神社までは700mほどで、境内入口の道を挟んで反対側に神社の大駐車場がある。境内の参拝エリアはさほど広くなく、高低差もさほどない。笠間稲荷神社と合わせて参拝する人が多いのか、参拝者はちらほらいて、境内もきれいにされていて、ちょっとした公園のような雰囲気。
今回は、坂東三十三観音霊場の札所として参拝することに。参拝時は週末の午後で、真夏の炎天下にもかかわらず、自分たち以外もほかの参拝者が数組来ていた。
境内入口。道の反対側は<笠間稲荷神社>の大型駐車場。
境内入口の<寺門>には、特に扁額や寺号標はない。
寺門をくぐると、自然いっぱいの参道。深い森に突っ込んでいくイメージ...笑
階段を上がると参道が右方向に曲がる。立派な高木が迎えてくれる。
最後の階段を上がったところ。
参道の左側にある<水屋>。
水屋近くから、本堂を望む。奥に本尊・千手千眼十一面観世音菩薩を祀る。
本堂の右手前にあるテントでは、御朱印待ちの人が灼熱の太陽を避けて座っている。
本堂の右手前にあるテントでは、御朱印待ちの人が灼熱の太陽を避けて座っている。
本堂の右半分が納経所になっている。御朱印はこちら。
納経所の様子。いろんな種類の御朱印があるみたい。
最後に<本堂>全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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