おおあらいいそさきじんじゃ
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楽しみ方大洗磯前神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

小高い丘の上にあり、神社左手のスロープを上がると大きな駐車場があります。
一度海まで戻って、お詣りしました。
大きな神社で、海に向かっての見晴らしも素晴らしかったです。
(御朱印第873号)
直書き
綺麗なクリアファイルをいただきました
神磯
鳥居の近くにはいけません
境内からの海が綺麗
茅の輪
本殿

海の岩礁の上に建つ神磯鳥居⛩が有名な大洗磯前神社にお参りしました😊お天気が下り坂の雲が多い日☁️すっかり日も上っていましたが、海面がキラキラと由緒にあるように光り輝いて見えました!!とても美しい神社✨早朝でしたが御朱印も書いていただきました🙏ありがとうございました😄いつか日の出の美しい神磯鳥居も見てみたい✨
神磯鳥居✨
祭神の降臨地と伝わります✨
岩礁は立ち入り禁止❌
正面鳥居✨
清良神社と奥に神池✨
神池✨
丘の上に神社が建立されています✨
随神門✨
随神門を潜ります✨
境内✨
拝殿✨
福の神の像✨
茅葺きの本殿✨
末社 西殿✨
末社 東殿✨
神馬✨
丘の上から鳥居越しに海が見えます✨

二神は力を合わせ心を一つにして天下を経営し、まじない、医薬などの道を教え、日本の国の礎を作った神様です。
大己貴命は、だいこく様とも言われ、慈悲深く福徳を授ける神として崇敬されています。
また、神話で大変親しまれている神様でもあり、「因幡の白兎」の昔話は特に有名です。
鰐(わに)に皮をはがれて苦しんでいた白兎に、真水で体を洗い、ガマ(蒲)の穂の上に転がると傷がいえると、教えてあげた神話です。
古くから、福や医療の神様として慕われていることがわかります。
少彦名命は、医療祖神と仰がれ万民を難病から救う神として信仰されています。
少彦名命も神話によく出てきますが、多くの場合に大己貴命と一緒に行動し、温泉(湯治場)を開発、医療の方法を定めた神様として語られています。
そのお姿は一寸法師のモデルともいわれ、御神影のように大己貴命の手に収まるような小さな体と語られています

主祭神は大己貴命、配祀神は少彦名命、社格等は式内社(名神大)、旧国幣中社、別表神社、本殿の様式は一間社流造茅葺、例祭は8月25日(八朔祭)主なご利益は恋愛成就、縁結び、家内安全、厄除け、開運招福、
日本文徳天皇実録にほんもんとくてんのうじつろく』によると、文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民を済すくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰ったことから、当社が創建されたと伝わっています。その後、国からお供え物をいただける数少ない神社の一社となり、更には「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜式神名帳(平安時代の神社名鑑)では霊験あらたかな神社を表す「大社」とされ、明治時代には国幣中社という社格を賜りました。
御社殿等は戦国時代の兵乱によって焼失してしまいましたが、江戸時代になり水戸藩2代藩主徳川光圀公の命で元禄3年(1690)社殿等の造営が始まり、享保15年(1730)に完成したのが今の本殿・拝殿・随神門です。
本殿・拝殿は彫刻や建築様式が江戸初期の数少ない建造物として県の文化財に指定されています。ひたちなか市にある酒列磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成している為同時に参拝がおすすめです

仕事もミスが重なりストレスが爆発しそうだったので、鬱蒼とした心を洗いに行って参りました。
大洗磯前神社の神磯の鳥居が急に観たくなったのが、深夜の2時。なりふり構わず、私の町から片道130kmありましたが、バイクで強行突破です。
凍えながら朝の6時に現地到着。
6時半頃には空が明るくなり、朝日が昇り始めると日の暖かさに包まれ、波の音に心もスッキリ。
悩んでた事がバカらしくなるほどに、行ってよかったです。
帰りに本殿も参拝。
素敵な日になりました!
後日談ですが、少しづつ厄災が離れていきました。
パワースポットなので、是非皆さんも朝日見に行ってみてください🤗
神磯の鳥居
鳥居からの参道
大鳥居
急な階段
楼門
狛犬さん
狛犬さん
本殿
干支
鳥居から見る景色

茨城県東茨城郡大洗町に鎮座する大洗磯前神社。祭神の降臨地と伝わる、磯に在る神磯の鳥居、日の出、白波との絶景景色と絶好のロケーション、近くの大洗水族館と相まって観光客が多く参拝してます。どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は大己貴命、配祀神は少彦名命、社格等は式内社(名神大)、旧国幣中社、別表神社、本殿の様式は一間社流造茅葺、例祭は8月25日(八朔祭)主なご利益は恋愛成就、縁結び、家内安全、厄除け、開運招福、
日本文徳天皇実録にほんもんとくてんのうじつろく』によると、文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民を済すくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰ったことから、当社が創建されたと伝わっています。その後、国からお供え物をいただける数少ない神社の一社となり、更には「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜式神名帳(平安時代の神社名鑑)では霊験あらたかな神社を表す「大社」とされ、明治時代には国幣中社という社格を賜りました。
御社殿等は戦国時代の兵乱によって焼失してしまいましたが、江戸時代になり水戸藩2代藩主徳川光圀公の命で元禄3年(1690)社殿等の造営が始まり、享保15年(1730)に完成したのが今の本殿・拝殿・随神門です。
本殿・拝殿は彫刻や建築様式が江戸初期の数少ない建造物として県の文化財に指定されています。ひたちなか市にある酒列磯前神社と深い関係にあると言われ、2社で1つの信仰を形成している為同時に参拝がおすすめです、歴史
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