さかつらいそさきじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
酒列磯前神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月30日(月)
参拝:2020年8月吉日
酒列磯前神社(さかつら・いそさき~)は、茨城県ひたちなか市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は少彦名命で、配祀神は大己貴命。那珂川対岸の大洗町にある大洗磯前神社と対となって1つの信仰の対象となっている。
国史である『日本文徳天皇実録』によると、平安時代前期856年、大己貴命を祀る大洗磯前神社と少彦名命を祀る当社とが同時に創建された。翌857年、官社となり「薬師菩薩明神」の号を授かったと記載されている。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「常陸国 那賀郡 酒烈礒前薬師菩薩神社 名神大」に比定されている。
中世には廃絶し社殿もなくなっていたが、江戸時代に水戸藩2代藩主・徳川光圀、3代綱條により遷座、再興された。明治時代になり、近代社格制度において国幣中社に列格した。
当社は、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線・大洗駅の東方2.5kmの太平洋に突き出た岬の丘の上にある。境内は広くて細長く、全域で樹木が生い茂っているため、神域が包まれた感がある。ただ、海岸にはつながっておらず、周辺も観光地にはなっていないため、観光客がいない分、大洗磯前神社と比べると参拝者も少ない。
今回は、常陸国の式内社ということで参拝することに。参拝時は平日(お盆休み)の午後で、参拝者はぱらぱらと来ていた(多くの人は、大洗磯前神社とセットで参拝しに来ているみたい)。
国史である『日本文徳天皇実録』によると、平安時代前期856年、大己貴命を祀る大洗磯前神社と少彦名命を祀る当社とが同時に創建された。翌857年、官社となり「薬師菩薩明神」の号を授かったと記載されている。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「常陸国 那賀郡 酒烈礒前薬師菩薩神社 名神大」に比定されている。
中世には廃絶し社殿もなくなっていたが、江戸時代に水戸藩2代藩主・徳川光圀、3代綱條により遷座、再興された。明治時代になり、近代社格制度において国幣中社に列格した。
当社は、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線・大洗駅の東方2.5kmの太平洋に突き出た岬の丘の上にある。境内は広くて細長く、全域で樹木が生い茂っているため、神域が包まれた感がある。ただ、海岸にはつながっておらず、周辺も観光地にはなっていないため、観光客がいない分、大洗磯前神社と比べると参拝者も少ない。
今回は、常陸国の式内社ということで参拝することに。参拝時は平日(お盆休み)の午後で、参拝者はぱらぱらと来ていた(多くの人は、大洗磯前神社とセットで参拝しに来ているみたい)。
境内西端にある<一の鳥居>と<社号標>。
一の鳥居から続く、300mもの長い参道と社叢。社叢は、樹齢300年を越えるツバキやタブノキで、冬にツバキが咲くと特に美しいとのこと。
参道右手にある<手水舎>。(後ろは駐車場)
いよいよ<二の鳥居>。狛犬は昭和の名工・飯塚平吉作。
鳥居をくぐると、左側に5つの境内社がある。左から順に<稲荷神社>、<天満宮>、<琴比羅神社>、<冨士神社>、<水神社>。
5つの境内社の右横には<斉昭公お腰かけ石>。水戸藩9代藩主・徳川斉昭公がヤンサマチという競馬祭を見物する際に腰を掛けたといわれる石。
お腰掛石の右隣に、宝くじの高額当選者が奉納した<幸運の亀>。触ると御利益があるらしい。
参道を進むと、いよいよ<拝殿>。
拝殿に掛かる<扁額>
<社殿>全景。オーソドックスで威風堂々とした風貌。
拝殿の右後ろから反時計回りに境内を廻る。まず<神馬舎>。
神馬舎の左隣にある<神輿殿>(左半分)と<神楽殿>(右半分)。
社殿右側から見た<本殿>。
社殿左側奥にある<酒列鎮魂社>。
拝殿左横にある<酒列会館>。
もう一度、<拝殿>全景。
酒列会館の左側に立つ<御神木>。
御神木の左側にある<斎館>。
手水舎の近くまで戻って、境内社2社。
手水舎から北に数十m歩いたところにある<海の見える鳥居>。きれいな眺め。
すてき
投稿者のプロフィール
惣一郎1269投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。