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草懸神社ではいただけません
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草懸神社のお参りの記録(1回目)
茨城県内原駅

投稿日:2018年12月05日(水)
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武甕槌命が天津甕星との戦いで、天津甕星側に攻め込まれた際、農民が武甕槌命に草を懸けて身をかくまったそうです。それを起源として神社が造られました。天津甕星は日立の大甕神社の宿魂石に封じ込まれていますが、この近くの風隼神社には、その石の破片が飛んできて神社が造られたようですので、神話ロマンを探求して行こうと考えています。鳥居をくぐる際、突然、風が吹きましたが、神様からのご挨拶だったような気がします(笑い)。
草懸神社の鳥居
鳥居になります。
草懸神社の本殿
社殿になります。
草懸神社の建物その他
ご由緒になります。

すてき

みんなのコメント5件)

注連縄の形が独特ですね、初めて見ました。
神社や地域に残る伝説など好きなので、こちらの神社にも機会があったら行ってみたくなりました。

2018年12月05日(水)

ご覧頂きありがとうございます。おっしゃる通り、珍しい形をしています。茨城県内でも、この近辺の武甕槌命をお祀りしている神社では、この形のところが何ヵ所かあるみたいです(調べてはおりませんので、詳しくは言えませんが)。大甕神社の由緒を調べて頂くと、茨城県内の神社につながる話が出てきますので、調べているところになります。

2018年12月05日(水)

追伸になります。今月から書き込み初めましたので、全然、説明下手で申し訳ありません。神話の概略だけ、お伝え致しますと、この地上を平定したとされる武甕槌命が唯一敗戦したのが、大甕神社付近に居た星神、天津甕星(かがせお)でした。常陸國二ノ宮、静神社の神であった建葉槌命(織物神)を遣わせ、巨石に変化した天津甕星を建葉槌命が金の草鞋で蹴り飛ばし、その石の破片が三ヶ所に飛んだようです。その飛んだ先にそれぞれ神社があります。東海村の石神には石神社、笠間市の石井にある石井神社、城里町にある風隼神社、すべて石が付く地名なのです。不思議ですよね(^_^)。大甕神社も大甕町にありますが、隣接地は石名坂町なので、そこも石が付く地名です。古代の交通の要所なんだと考えられますが、とても気になります。ちなみに、東海村の石神は、砕け飛んだ石の一番上が落ちたので、その昔の地名は今と読み方は変わりませんが、石上(いしがみ)だったようで、水戸黄門様が石神にするように命じたそうです。長々でしたが、参考までに書かせて頂きました。読んで頂ければ幸いです。ありがとうございました。

2018年12月05日(水)

すごく詳しくありがとうございます!
こういう話が今にまで伝わっているという事はワクワクします。
石が飛んだ先の神社も行きたい候補になりました。

2018年12月05日(水)

共感頂きありがとうございます。石名坂は急な山で、当時は森の中の坂道になっていたでしょうから、仮に、天津甕星が地元の豪族であり、鹿島あたりから来た人に奇襲攻撃をすれば、常勝軍団でも勝てませんよね(-_-;)。多分、静神社ならば、鹿島よりも近いからジモティーだったんで派遣したんでしょうね。そのように人に置き換えると、当時の陣取り合戦の話しだったのかな?と。

2018年12月05日(水)
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