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能化稲荷ではいただけません
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能化稲荷のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月05日(月)
参拝:2021年4月吉日
商店街により奉賛会が結成され、大切に守られています。
境内も綺麗です。
商店街の通りからは見落としそうですが、奥に進むと広いです。
能化自在大善神縁起
能化稲荷様、正式には「能化自在大善神」別名を「会所の稲荷」と称し、旧本一丁目に鎮座する。会所とは寄合の場所、水戸城下に出入するお客様方をおもてなしした南側会所(当所)のことなり。
水戸二代藩主徳川光圀公は、生母久昌院様菩提のため、延宝元年(1673)に七堂伽藍の精舎を建立する悲願を立て、常陸太田に久昌寺を創立、これを成就された。又僧侶の学問所、檀林を寄進し、その任をまかせるべく京都深草より親しく交流のあった日乗上人を招きし時、上人が随身して来られたのが能化稲荷尊で、その祭神は宇迦之御魂命であった。その後京都本国寺日隆上人が光圀公から久昌寺の住職(第世・元禄11・1698)として招かれ来たり、この会所に数日ご滞在の折
「衆生の利益のため、われを本一町目の地に鎮座せしめよ」と大善神のお告げがあった。上人は自ら藩主に請願され、ここにご尊体をお移しし、能化自在大善神と称して奉崇されしなし。
後に大火、戦災に幾度も相遇するも篤信者にして信徒数も多い。
平成14年には、堂宇が再建、全域が整備され、本町守護の善神として、又、末法濁乱のこの悪世を一生懸命生きる人々に、そのあらたかな能化自在の霊験を施すべく、その誓願を果すべく鎮座されている。堂宇がいつも北向き(本町商店街、旧水戸城・太田久昌寺方面)とされてきたのはそのためである。
・ご縁日 毎月1日・15日
・お田植祭 旧6月15日
毎月15日はどなたさまでもお経頂戴・お加持が受けられます。
平成20年8月吉日
能化堂奉賛会
境内も綺麗です。
商店街の通りからは見落としそうですが、奥に進むと広いです。
能化自在大善神縁起
能化稲荷様、正式には「能化自在大善神」別名を「会所の稲荷」と称し、旧本一丁目に鎮座する。会所とは寄合の場所、水戸城下に出入するお客様方をおもてなしした南側会所(当所)のことなり。
水戸二代藩主徳川光圀公は、生母久昌院様菩提のため、延宝元年(1673)に七堂伽藍の精舎を建立する悲願を立て、常陸太田に久昌寺を創立、これを成就された。又僧侶の学問所、檀林を寄進し、その任をまかせるべく京都深草より親しく交流のあった日乗上人を招きし時、上人が随身して来られたのが能化稲荷尊で、その祭神は宇迦之御魂命であった。その後京都本国寺日隆上人が光圀公から久昌寺の住職(第世・元禄11・1698)として招かれ来たり、この会所に数日ご滞在の折
「衆生の利益のため、われを本一町目の地に鎮座せしめよ」と大善神のお告げがあった。上人は自ら藩主に請願され、ここにご尊体をお移しし、能化自在大善神と称して奉崇されしなし。
後に大火、戦災に幾度も相遇するも篤信者にして信徒数も多い。
平成14年には、堂宇が再建、全域が整備され、本町守護の善神として、又、末法濁乱のこの悪世を一生懸命生きる人々に、そのあらたかな能化自在の霊験を施すべく、その誓願を果すべく鎮座されている。堂宇がいつも北向き(本町商店街、旧水戸城・太田久昌寺方面)とされてきたのはそのためである。
・ご縁日 毎月1日・15日
・お田植祭 旧6月15日
毎月15日はどなたさまでもお経頂戴・お加持が受けられます。
平成20年8月吉日
能化堂奉賛会
すてき
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