こうげんじ|臨済宗妙心寺派
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8時半を回ったので高源寺様へ入山しました。
高源寺様は臨済宗中峰派の本山です。
御本尊は釈迦如来をお祀りされています。
高源寺様は中国の杭州天目山の中峰国師の元で
10年の修行を積まれた遠谿祖雄禅師が1325年に
創建されました。
山梨県の栖雲寺様が東天目と呼ばれるのに対して
高源寺様は西天目と呼ばれる名刹です。
最初に到着した時点で開門までまだ1時間弱あった
のですが良さげなカメラを持った数人が並んで
いました。さすが🍁の名所とか思いながら歩いて
いるとその中のお一人からご挨拶頂いたので
話してみると人が写り込まない写真が欲しい
とのことでした。
1時間ほどして境内を後にする時には駐車場が
🈵️になるほど人が増えていたので納得でした。

🍁高源寺の桜🌸丹丘勝処🍁
西天目瑞巌山 高源寺
山号 瑞巌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 正中2年(1325年)
開山 遠谿祖雄禅師
札所
関西花の寺二十五霊場第4番
丹波西国霊場第六番
丹波古刹霊場
寺院入り口の「惣門」の八重桜。
そして、多宝塔に続く小道にも桜並木が
広がります。
鎌倉時代に遠谿祖雄禅師によって建立された
臨済宗中峰派 本山です。
甲斐(山梨県)の #栖雲寺 が 東天目 と称するに
対して、西天目と呼ばれ、丹波屈指の名刹です。
境内には 惣門・山門・仏殿・方丈・鐘楼・
多宝塔などの伽藍があります。
四季折々の自然が織りなす情景を
楽しめる高源寺。
丹波もみじ10ヶ寺のひとつ、もみじの名所として
著名な寺院ですが、春は桜の名所でもあります。
また、遠谿祖雄禅師が中国から持ち帰った
「天目楓🍁」をはじめとする約200本の楓が
境内を鮮やかに染めます。
特に惣門から山門にいたる参道には
古木の楓が多く、紅葉のトンネルが続きます。
〜丹波市観光協会より〜
多宝塔(三重塔)
戦国時代には織田信長公の命を受けた
明智光秀公が丹波国に攻め込み、
当寺もその戦火を受けて全山焼失。
享保年間(1716年ー1736年)の始めに
天岩明啓禅師が再興し、
寛政2年(1790年)頃には
弘巌玄猊禅師(1747-1821年)が
柏原藩の援助を得て多宝塔を建立し、
復興されました。
開運毘沙門天
三国伝来の金仏で、インドの毘須鳩摩の作
が祀られています。
紫鳳楼(山門)と筋塀
筋塀とは、古来の日本建築における
土塀の一種で、定規筋と呼ばれる
白い水平線が引かれた築地塀を指す
元々は、皇族が出家して住職を務めた
門跡寺院の土塀の壁面に、その証として
5本の定規筋を引いたのが始まり。
定規筋の数が寺の格式を示すようになり、
5本線が最高格式を表すものとなった。
御朱印
宝印 可愛い🪷✨
高源寺惣門 丹丘勝処
兵庫県丹波市青垣町桧倉514
0795875081



臨済宗妙心寺派 西天目瑞巌山 高源寺
関西花の寺二十五霊場 第4番札所
丹波古刹十五ヶ寺霊場 第9番札所
丹波もみじめぐり十ヶ寺の一つです。
前から一度お参りしてみたいなと思っていた高源寺さんにようやくお参りできました。
丹波もみじめぐりの青もみじ版は6月末までということで、なんとか駆け込みでまわらせていただきました。
前回5月に丹波市を訪れた際に、十ヶ寺のうち「白毫寺」と「三寳寺」の二ヶ寺は青もみじ御朱印をいただいていたので、残りの八ヶ寺を一日でめぐるべく朝から駆け巡りました。
境内は天目カエデと山もみじがたくさん植えられていて、本当に美しい光景でした。
紅葉の季節になるとまた違った景色になるようなので、今年の秋にはまた訪れたいと思います。
正中2年(1325年)、遠谿祖雄禅師によって開創。
東天目と称される山梨県の栖雲寺に対して、こちらは西天目と呼ばれています。
遠谿祖雄禅師は嘉元4年(1306年)に中国に渡り、杭州天目山の中峰国師のもとで10年間修業を行い、日本に帰国後、霊夢で得た天目山に似た佐治郷小倉に堂宇を創建したとのこと。
嘉暦元年(1326年)、後醍醐天皇より「高源禅寺」の寺号を賜り、後柏原天皇の勅願所の礼遇を許されました。
天正年間には織田信長の丹波攻略により焼失しますが、寛政11年(1799年)に弘巌玄猊禅師が柏原藩の援助を受けて現在地に再建したとのこと。



関西花の寺、丹波古刹巡りにてお参りさせていただいております。
紅葉で有名なお寺さんですが、山門などの建物もすごく立派です。なによりもやはり石垣や石段の規模が大きく、おそらく防御施設としてもかなり意識されていたのではないかと思います。
戦国期の城郭の石垣づくりで有名な近江の穴太衆の技術も比叡山の中で巨大な寺院を立てる中で培われていったもののようです。城作りの名人と呼ばれる藤堂高虎が比叡山のある近江出身なのも関連があるはずです。
どうしても戦国時代の話は武将がメインで寺社勢力がおまけのように出てきます。
しかし歴史で見ると神社仏閣のほうが巨大建造物が多いわけですから、むしろ寺社勢力が多くの優秀な防御施設建造の専門職を抱えていたのではないかと想像できます。
世界遺産や国宝になっている日本の城も巨大な神社仏閣を立てる技術があってこそ、だと気づかされます。
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