たもんじ
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多聞寺ではいただけません
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多聞寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年04月17日(水)
参拝:2024年3月吉日
兵庫県加西市にあるお寺です。後藤又兵衛の菩提所として有名なお寺です。
山号は祝融山 宗旨は曹洞宗 ご本尊は釈迦牟尼仏です。
加西西国三十三ヶ所 第十六番札所です。
お参りした日はちょうど法事だったようで お話を聞くことはできませんでした。
こちらの御朱印はとても人気があります。書置きではありましたが 拝受できました。
まあまあ広い境内は 観るものが多く それなりに時間がかかりました。
季節柄美しい風車で飾られていました。
心地よい風でくるくる回る風車をくぐり 裏手に進めます。
裏手の庭は美しく 少し表情の変わったお地蔵様もいらっしゃいます。
キリシタン地蔵尊は見ておきたいです。
背面に十字架のある 首から上のないお地蔵様です。
由縁については HPに
戦国の武将 後藤又兵衛基次公と祝融山多聞寺との関係は非常に深く 黒田官兵衛率いる「黒田二十四騎」の一人として そして大坂夏の陣 「大坂城五人衆」の一人として 西軍である豊臣の軍勢につき 河内道明寺の戦いにおいて東軍である徳川の軍勢に対し 真っ先に立ち向かい 孤軍でおよそ八時間奮戦したが 後続の真田幸村(信繁)らの軍が濃霧に阻まれて到着が遅れ 又兵衛は孤軍のまま壮絶な戦いの末 武将としての本懐を遂げ討ち死にしました。(元和元年五月六日亡)
その翌年の元和二年(1616)に 又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父を弔うために 尾崎村の岩本勘兵衛家から土地の寄進を受け 又兵衛の命日(5月6日)である一周忌に合わせて多聞寺を建立開創しました。
とありました。
山号は祝融山 宗旨は曹洞宗 ご本尊は釈迦牟尼仏です。
加西西国三十三ヶ所 第十六番札所です。
お参りした日はちょうど法事だったようで お話を聞くことはできませんでした。
こちらの御朱印はとても人気があります。書置きではありましたが 拝受できました。
まあまあ広い境内は 観るものが多く それなりに時間がかかりました。
季節柄美しい風車で飾られていました。
心地よい風でくるくる回る風車をくぐり 裏手に進めます。
裏手の庭は美しく 少し表情の変わったお地蔵様もいらっしゃいます。
キリシタン地蔵尊は見ておきたいです。
背面に十字架のある 首から上のないお地蔵様です。
由縁については HPに
戦国の武将 後藤又兵衛基次公と祝融山多聞寺との関係は非常に深く 黒田官兵衛率いる「黒田二十四騎」の一人として そして大坂夏の陣 「大坂城五人衆」の一人として 西軍である豊臣の軍勢につき 河内道明寺の戦いにおいて東軍である徳川の軍勢に対し 真っ先に立ち向かい 孤軍でおよそ八時間奮戦したが 後続の真田幸村(信繁)らの軍が濃霧に阻まれて到着が遅れ 又兵衛は孤軍のまま壮絶な戦いの末 武将としての本懐を遂げ討ち死にしました。(元和元年五月六日亡)
その翌年の元和二年(1616)に 又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父を弔うために 尾崎村の岩本勘兵衛家から土地の寄進を受け 又兵衛の命日(5月6日)である一周忌に合わせて多聞寺を建立開創しました。
とありました。
掲示板
山門に続く参道
山門に続く参道の椿
石柱
石柱
西国三十三か所観音霊場の観音様
後藤又兵衛についての説明
山門
花手水がきれいです
山門くぐってすぐ 後藤又兵衛のお墓かなと思ったのですが ちがうようです
鐘楼
六地蔵
松に吊り下げられた苔玉に椿
本堂
石徳五訓
書置きのお知らせ
板木 呼び出し用でしょうか
御朱印の種類は豊富です
本堂にある風車
裏庭に続く入口にも風車
表情が変わっていますよね
境内摂社
彫りの深いお地蔵様
ペットの慰霊碑
白壽観世音菩薩
慈母観音像
鹿の庭
地蔵菩薩
小さな仏像が並ぶ
大きな岩の横にも観音様
山門入ってすぐの境内の様子
よく見かけます
キリシタン地蔵尊
本堂前の庭
槇の木?
山門すぐの松の木 椿の苔玉がきれい
槇の木?
山門から歩いてすぐの所にあるお堂(境外)
お寺の前には桜も咲いていました
今風のかっこいいのぼり
すてき
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くるくるきよせん2064投稿
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