がやいん|本山修験宗|大谷山
伽耶院のお参りの記録一覧
645年孝徳天皇の勅願により法道仙人が開いたと伝わる。
古くは大谿寺東一坊と称していたが、1681年後西上皇の勅命により伽耶院と改められた。
平安時代中期には堂宇数十、坊塔百三十余を有し、花山上皇の行幸があるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めの兵火、1609年の火災で全山焼失した。
現在の堂宇は1610年以降、諸国大名が寄進したものである。
1646年再建の本堂(金堂)、正保年間(1645年~1648年)再建の三坂明神社、1648年再建の多宝塔(豊前国小倉藩主・小笠原忠真の建立)は重文指定されている。
開山堂(1656年建築)は丹後国峰山藩主・京極高供による建立、行者堂(1630年建築)は土佐国高知城主・山内忠義による建立、二天堂(中門)は1651年再建である。
本堂(金堂)
本堂(金堂)
宮殿
三坂明神社
三坂明神社
多宝塔
多宝塔
多宝塔
多宝塔
三坂明神社・多宝塔
臼稲荷社
臼稲荷社
行者堂
行者堂
開山堂
黄金水
黄金水
中門(二天門)
表門
表門
仁王門
羽柴秀吉の三木城攻めの兵火で頭部と脚部を焼失した仁王像を安置する。
本山修験宗 大谷山 伽耶院(がやいん)
新西国三十三箇所観音霊場 第26番札所
美嚢郡西国三十三箇所霊場 第31番札所
京都の聖護院門跡を本山とする修験道のお寺になります。
昨年8月に初めてお参りさせていただいてから早くも1年以上。
多くの木々に囲まれたとても落ち着くところなのでまたお参りしたいなと思い、立ち寄らせていただきました。
毎年10月10日には、近畿の天台系山伏約200人が集まり、採燈大護摩供法要が執り行われると前回のお参り時にお聞きしていたのですが、気付いたら10月10日を少しばかり過ぎていました😅
孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645年)法道仙人により開基。
花山上皇の行幸もあったとされるほどとても栄えた寺院でしたが、羽柴秀吉の三木城攻めによる兵火で焼失。
現在の堂塔は慶長15年(1610年)以降の諸国大名の寄進によるものだそうです。
もともとは大谿寺、あるいは東一坊と称していたそうですが、延宝9年(1681年)に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号として伽耶院と改められました。
仁王門
この先すぐ左手に駐車場があります
中門(二天堂)
中門前でにっこりお出迎え
こちらが持国天かな?
こちらは多聞天?
入山料は草引き10本
本堂(慶長15年/1610年) 重文
安置されている毘沙門天も重文です
本堂内でお参りして出てくると正面のベンチの上に何かある?
近付いて見ると猫?
近くに「おにゃんこみくじ」が置かれていました。
多宝塔(正保4年/1647年) 重文
紅葉に抱え込まれた石臼
臼稲荷
台座の部分が奉納された石臼になっています
鎮守三坂明神社(慶長15年/1610年) 重文
開山堂(明暦2年/1656年)
行者道(寛永7年/1632年)
二天門くぐって正面にある黄金水
寺務所(納経所)
御朱印
本山修験宗 大谷山 伽耶院
聖護院門跡(京都)を本山とする修験道のお寺です。
新西国三十三箇所第26番札所でもあります。
◇以下、伽耶院HPより◇
縁起では孝徳天皇の勅願寺として、大化元年(645)法道仙人により開基されたとされる。
平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊塔をもち、花山上皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、また慶長14(1609)年には失火により、全山を焼失した。現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるものである。
古くは大谿寺(だいけいじ)あるいは東一坊(といちぼう)と称していたが、1681年に後西上皇の勅によりインドの仏陀伽耶(ブッダガヤ)に因む寺号、伽耶院(がやいん)と改めた。
中世以降、聖護院末の修験寺院として勢力をもち、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家(いんげ)のひとつとして修験界に威をふるった。
現在も10月の体育に日には、各地から多数の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩(さいとうだいごま)が行われている。
体育の日には、近畿の天台系山伏約200人が集まり、採燈大護摩供法要が行なわれるそうです。
御朱印をいただく際にその様子の写真を見せていただきました。
また今年は8月22日に万灯会が行なわれるようです。
また事前に予約をしておくと本堂内陣の拝観もさせていただけるようです。
次に訪れる際には予約をしてからお参りしたいと思います。
三木市志染町大谷410
仁王門
内部に安置されている尊像は行基菩薩作と伝えられる金剛力士であるが、天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したと伝えられている。
建物は大正時代の再建であり、花頭窓のみが前建造物の遺物である。
仁王門内の金剛力士像
頭部、腕、脚がない胴体のみです
山門付近
まるでお城のようです。
道路を挟んだ向かい側に駐車スペースがあります。
寺標と山門
この山門を入らずに前の道をまっすぐ進むと中門があります
山門
入ってすぐ左側に寺務所があります
中門(二天堂)
中門(慶安4年/1651年) 市指定文化財
屋根及び軒まわりは後世の修理の際改変されているが、それ以外は当初の形式を残している。
木組みの中及び安置されている二天像には慶安の墨書があり建立は江戸初期ではあるが、側面の妻飾りは古い架構法である「二重虹梁蟇股式(にじゅうこうりょうかえるまたしき)」が用いられた八脚門である。
二天像(右)
優しいお顔をされています
二天像(左)
本堂(慶長15年/1610年) 重要文化財
本堂の唐獅子と牡丹の欄間
御本尊は毘沙門天様
伽耶院ご詠歌
播磨路や 伽耶のみ寺の花の庭 てらすは法の光なりけり
梵字は不動明王でしょうか
この梵字は聖観音?
多宝塔(正保4年/1647年) 重要文化財
臼稲荷
田に水を溜めるため水の出口に古い石臼を使っていた当地方で、ある干害の年、白衣の老人となった狐が村中の田の石臼を全てとり除き水を均等に配分した。 これを恥じた村人が石臼をここに奉納したと伝えられている。
臼稲荷の前にある石臼を抱え込んだ紅葉
臼稲荷の前から多宝塔を見上げると青紅葉がきれいでした
臼稲荷の隣にあったこれは何でしょうか?
石臼が沢山敷き詰められています
三坂社(慶長15年/1610年) 重要文化財
護摩道場
不動明王の智火で煩悩を焼き尽くそうとする儀式が採燈大護摩である。
生桧葉を方形に積み上げ読経と共に点火する。
毎年体育の日に執り行なわれ、近畿各地の天台系山伏二百余名が参集する。前作法として山伏問答や法弓・剣の作法等が行なわれる。
入山料 お一人につき草ひき十本
他の方も書かれていまいたが、ついつい沢山草ひきしてしまいますね
黄金水
12月中旬から2月中旬頃に、この池の水面が虹色や金色に輝くとのこと。
私には十分金色に見えましたが、この期間以外はただの濁った水だそうです。
市内の中学生が作られた石像だそうです
どれも個性的でとても可愛らしかったですよ
開山堂(明暦2年/1656年) 県指定文化財
仲よしポックリさん
開山堂の横にも沢山の祠がありました
行者道(寛永7年/1632年) 市指定文化財
土佐城主源忠義の寄進により建立され、屋根・軒まわり・縁まわりは後世の修理により改変されているが内部の厨子・脇仏壇等は寛永期のものである。
役行者の尊像を安置し、何のかざりもないこもり堂としての性格を保っている。
行者堂内部
寺務所
こちらで御朱印等いただけます。
前を流れる小川には羽黒蜻蛉が沢山舞っていました。
(もうちょっとアップで撮りたかったけど、川に落ちる一歩手前でした😅)
一部では「神様トンボ」とも呼ばれ縁起が良いとされています。
体はエメラルドグリーンだし、他のトンボと違ってふわふわと漂うように飛ぶ姿はある意味妖精のようですね。
縁起
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