やくもしゃ
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八雲社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2021年08月19日(木)
参拝:2021年8月吉日
※注意 一番最後の写真に小さな蛙の写真を掲載しています。
蛙が苦手な方はご注意ください。
今年の3月にもお参りさせていただいておりますが、この直前にお参りしました岩壺神社の御朱印をこちらでいただけるということで、急遽お参りしました。
しかし、時間(3時半)が悪かったのか、日曜日だからなのか、今回も社務所はどなたもいらっしゃらないようで、御朱印はまたの機会となりました。
以下、八雲社HPのご由緒より~
創立年月は詳らかではありませんが、今から約千五百年ほど前、億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際、久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています。
御祭神は素盞鳴尊を主祭神に、五男神、三女神の神々を御奉斎し、古く久留美の庄の東北(うしとら)の方角の守護神(方除神)として祀られたとされています。
因みに久留美の庄の区域は、久留美配分坂より平井の笠松、宿原の境松、広野、小林の境松、南は広谷川を境として小林、興治の境松、東這田、高木の境松、加佐、平田の境松、久留美皇垣内に至る区域を久留美の庄と定めたとあります。(現在の三木市街地全域)
延元二年(紀元一九九七年)に皇子ヶ谷より現在の地に遷座せられ久留美、与呂木、平井、跡部の地区の産土神として尊崇せられております。
天正六年、豊臣秀吉が三木城主別所長治を攻むるに際し当社に祈り、落城後報賽のため五色の幣及び白旗を奉納し、御供田を寄進せられました。
~~~~~
また後々HPを見ていて知ったのですが、こちらの八雲社さんは大変多くの兼務神社があるようでした。
だからなかなか宮司さまにお会いすることができないのかもしれません。
次からは事前に電話してから伺いたいと思います。
三木市久留美1840
蛙が苦手な方はご注意ください。
今年の3月にもお参りさせていただいておりますが、この直前にお参りしました岩壺神社の御朱印をこちらでいただけるということで、急遽お参りしました。
しかし、時間(3時半)が悪かったのか、日曜日だからなのか、今回も社務所はどなたもいらっしゃらないようで、御朱印はまたの機会となりました。
以下、八雲社HPのご由緒より~
創立年月は詳らかではありませんが、今から約千五百年ほど前、億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際、久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています。
御祭神は素盞鳴尊を主祭神に、五男神、三女神の神々を御奉斎し、古く久留美の庄の東北(うしとら)の方角の守護神(方除神)として祀られたとされています。
因みに久留美の庄の区域は、久留美配分坂より平井の笠松、宿原の境松、広野、小林の境松、南は広谷川を境として小林、興治の境松、東這田、高木の境松、加佐、平田の境松、久留美皇垣内に至る区域を久留美の庄と定めたとあります。(現在の三木市街地全域)
延元二年(紀元一九九七年)に皇子ヶ谷より現在の地に遷座せられ久留美、与呂木、平井、跡部の地区の産土神として尊崇せられております。
天正六年、豊臣秀吉が三木城主別所長治を攻むるに際し当社に祈り、落城後報賽のため五色の幣及び白旗を奉納し、御供田を寄進せられました。
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また後々HPを見ていて知ったのですが、こちらの八雲社さんは大変多くの兼務神社があるようでした。
だからなかなか宮司さまにお会いすることができないのかもしれません。
次からは事前に電話してから伺いたいと思います。
三木市久留美1840
鳥居
拝殿
毎回、この角度から懸魚を撮影してしまう・・・
成長なしということかな???😅
成長なしということかな???😅
手水舎
能舞台
本殿(左)
ここからは本殿の左側からぐるっと末社巡りです
ここからは本殿の左側からぐるっと末社巡りです
天満社
垣田大神(住吉社)
八柱神
本殿背面の彫刻1
本殿背面の彫刻2
廣峯武大神
本殿(右)
天照皇大御神(お伊勢さん)
八幡社(八幡さん)
参道には体長1~2cm程度の小さな蛙がぴょんぴょん飛び跳ねていました。
水たまりで休憩している蛙をズームで撮ってみました。
意外とかわいい顔!
水たまりで休憩している蛙をズームで撮ってみました。
意外とかわいい顔!
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
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