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おおみやはちまんぐう

大宮八幡宮の御由緒・歴史
公式兵庫県 三木(神戸電鉄)駅

ご祭神【本殿】
応神天皇,(おうじんてんのう)
国水分神,(くにのみくまりのみこと)
天照皇大神,(あまてらすすめおおかみ)
素盞嗚尊,(すさのおのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
熊野久須毘命,(くまのくすびのみこと)
賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)

【摂末社】
大宮天満宮  菅原道真公
祝田社    玉帯志比古大稲男命(たまたらしひこおおいなおのみこと)
       玉帯志比売豊稲女命(たまたらしひめとよいなめのみこと)
尾引稲荷社  倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
       稚産霊神(わくむすびのかみ)
       保食神(うけもちのかみ)
弁財天社   市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
伏見稲荷社  伏見稲荷大神

【境内末社】
豊玉姫社  豊玉姫
祓殿    瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)
      速開津比売神(はやあきつひめのかみ)
      気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
      速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)
播東稲荷社 不詳
【境外社】
三本松稲荷社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
       稚産霊神(わくむすびのかみ)
       保食神(うけもちのかみ)
金刀比羅社   金刀比羅大神
創建時代創建は定かではないが、古代より山上(現八畳敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代には既に山上に祠があったと伝わる。
ご由緒

当宮は応神天皇を御主座に両側に八柱の神を配祀奉る、近隣稀に見る大社である。創建は定かではないが、古代より山上(現八量敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代に既に山上に社祠が建立されており、美嚢郡(ミナギノコオリ)高野里(タカヌノサト)の祝田社(ハフリタノヤシロ)と称し祀られていた。〔『播磨国風土記美嚢郡の段』見出〕その後、天永二年(1111年)鳥羽天皇の御代、別所氏の祖頼清によって創建され、代々の城主が守護神と崇め祀った。
 室町時代となり織田信長の天下布武により、中国の豪族毛利氏平定の総大将羽柴秀吉と戦った別所氏は、三木城に籠城して周辺の山野に布陣したが、天正八年(1580年)、別所氏が亡んだときに、兵火によって社殿ならびに諸記録はことごとく消失した。その後三木を領した中川右衛門太夫秀政が天正十一年九月十三日(現例大祭日の起源)に社殿を再建造営した。
 慶長八年(1603年)には、姫路城主池田左衛門輝政は家老伊木長門守を使わし、川原の田畑および境内の山林竹木を黒印をもって寄進し、社殿を現在の地に移した。元和五年(1619年)、小笠原右近太夫忠政は本殿と諸建築物を修理し、黒印社領を寄附し、当時拡張された境内の広さは七万余坪もあり、東播磨随一の大社として近郷に知られるようになった。徳川三代将軍家光は、朱印領を寄進し、歴代将軍も山林竹木諸役を免除し社殿を安堵された。現在の兵庫県地域において、江戸時代、御朱印社領七十石以上安堵の神社は当宮以外にわずか二社のみであった。推して当時当宮の社格社勢を知ることができる。
 明治初期には郷社に列せられ、平成六年には本殿を後方に引き、その前に両翼殿を備える拝殿を建造する大造営を行い、四方の崇敬厚く現在に至っている。

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