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百代寺ではいただけません
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百代寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月05日(月)
参拝:2022年11月吉日
高野山真言宗 大行山 百代寺
加西西国三十三ヶ所観音霊場 第20番札所
先日投稿しました乎疑原神社のすぐ近くになります。
御朱印をいただこうと庫裏の玄関のほうに歩いていると、ちょうど中からご住職が出てこられてタイミングよく御朱印をお願いすることができました。
ご住職が「よくまあこんなへんぴなところまでお参りに。。。」と笑いながら仰っていましたが、そんなにへんぴなところじゃないですよ。
とてものどかで落ち着くところでした。
ちなみにこの後、同じ加西市にある多聞寺さんにお参りしたのですが、多聞寺のご住職が私の御朱印帳を見て、「百代寺さんに行かれたんやね。 ご住職、いらっしゃいましたか。」と。
なんでも百代寺のご住職はとてもお忙しい方だそうで、御朱印を書いていただけるのはラッキーですよとのこと。
百代寺と多聞寺は宗派が違うのですが、ご住職同士仲がよいとのことでした。
開基 天長年間(830年)
ご本尊 薬師如来
当寺は、人皇五十三代淳和天皇の御代弘法大師の開基で、当寺の本尊は石体の薬師如来で長一丈脇四尺五寸の舟座で、御丈三尺五寸の立像其上に並び立ち三尊共に弘法大師の御作で伊豫國の巨石を以て一刀三礼して作られたと云う。
本堂の外に多宝塔、観音堂、鐘楼堂、五大尊堂、御影堂、鎮守乎疑原神社、天満宮其他九社の神社があった。
因みに天満宮は六十代醍醐天皇の御代延喜年間(906)当寺の隆全阿闍梨が当寺の鎮守として勧請祀りしもので爾来明治維新まで当寺が乎疑原神社其他九社の別当であった。
坊舎も百余宇あったが後に一宇となり百に代る寺と云うので百代寺の名があると云う。
六十二代村上天皇の勅願寺となり、阿弥陀堂其の他の建立あり長く隆昌を極めて居たが、天文年中(1540)兵火に罹り、後又、織田信長の為に焼かれ堂社の殆んどを失い僅かに薬師堂、地蔵堂のみを残した。
往時は寺領五百石程あったが、この時は百五十石になって居た。
後、池田輝政検地の際は無縁の地としたので衰微その極に達した。
万治二年(1659)三月中興第一世智乗僧都が荒廃の甚だしいのを憂い一院と大師堂を再建し開基の弘法大師像を安置した。 以来次第に旧に復し祖徒及び近隣の信仰を集めた。
併し、寛政十年(1798)再興の庫裏も漸く老朽化し依って、祖徒等相謀り改築を発願し浄財の喜捨を仰ぎ、総工費一億四千万円にて面目を一新するに至り、末永く祖徒の先祖追福並びに済世利人の道場として成就す。(境内の縁起より)
ご詠歌
御仏の 光あまねく 照り渡り 祈る衆生を 救いたまわん
加西西国三十三ヶ所観音霊場 第20番札所
先日投稿しました乎疑原神社のすぐ近くになります。
御朱印をいただこうと庫裏の玄関のほうに歩いていると、ちょうど中からご住職が出てこられてタイミングよく御朱印をお願いすることができました。
ご住職が「よくまあこんなへんぴなところまでお参りに。。。」と笑いながら仰っていましたが、そんなにへんぴなところじゃないですよ。
とてものどかで落ち着くところでした。
ちなみにこの後、同じ加西市にある多聞寺さんにお参りしたのですが、多聞寺のご住職が私の御朱印帳を見て、「百代寺さんに行かれたんやね。 ご住職、いらっしゃいましたか。」と。
なんでも百代寺のご住職はとてもお忙しい方だそうで、御朱印を書いていただけるのはラッキーですよとのこと。
百代寺と多聞寺は宗派が違うのですが、ご住職同士仲がよいとのことでした。
開基 天長年間(830年)
ご本尊 薬師如来
当寺は、人皇五十三代淳和天皇の御代弘法大師の開基で、当寺の本尊は石体の薬師如来で長一丈脇四尺五寸の舟座で、御丈三尺五寸の立像其上に並び立ち三尊共に弘法大師の御作で伊豫國の巨石を以て一刀三礼して作られたと云う。
本堂の外に多宝塔、観音堂、鐘楼堂、五大尊堂、御影堂、鎮守乎疑原神社、天満宮其他九社の神社があった。
因みに天満宮は六十代醍醐天皇の御代延喜年間(906)当寺の隆全阿闍梨が当寺の鎮守として勧請祀りしもので爾来明治維新まで当寺が乎疑原神社其他九社の別当であった。
坊舎も百余宇あったが後に一宇となり百に代る寺と云うので百代寺の名があると云う。
六十二代村上天皇の勅願寺となり、阿弥陀堂其の他の建立あり長く隆昌を極めて居たが、天文年中(1540)兵火に罹り、後又、織田信長の為に焼かれ堂社の殆んどを失い僅かに薬師堂、地蔵堂のみを残した。
往時は寺領五百石程あったが、この時は百五十石になって居た。
後、池田輝政検地の際は無縁の地としたので衰微その極に達した。
万治二年(1659)三月中興第一世智乗僧都が荒廃の甚だしいのを憂い一院と大師堂を再建し開基の弘法大師像を安置した。 以来次第に旧に復し祖徒及び近隣の信仰を集めた。
併し、寛政十年(1798)再興の庫裏も漸く老朽化し依って、祖徒等相謀り改築を発願し浄財の喜捨を仰ぎ、総工費一億四千万円にて面目を一新するに至り、末永く祖徒の先祖追福並びに済世利人の道場として成就す。(境内の縁起より)
ご詠歌
御仏の 光あまねく 照り渡り 祈る衆生を 救いたまわん
すてき
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