ぜんぷくじ|曹洞宗|大澤山
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納経しに行ってきました。
写経会も開かれているそうなので時間が出来たら参加したいなと思います。
綺麗な境内でした。
時間がなく御本尊までは参拝できませんでしたが次回のお楽しみにしたいと思います。
善福寺(ぜんぷくじ)
~御本尊ご開帳と坐禅会~
山号 大澤山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏
あごなし地蔵尊(秘仏)
札所
郡西国三十三札所第二十番
坐禅会開催日
毎月第2土曜
夏19:30~21:30
冬19:00~21:00
(お写経会もあります)
共に 1・8月お休み
1年に1度の御本尊と、あごなし地蔵尊ご開帳と、
初めての坐禅会(6:00~)に参加させて頂きました。
会場は、御本尊隣の仏間(薄明かり)で、お部屋に入ると厳かでひんやりとした雰囲気。
約1時間半の坐禅。
まず自分は呼吸が下手(乱れてロングブレスができません)なことに気がつきました。それでも多少持ち堪えましたが、後半では眼(視界)がモヤモヤグラグラ。致命的ピンチに思えました。
永平寺の修行の様子のDVDは見ていましたが、実際に体験できて『無』になることの
最難しさがよくわかりました。
歩き方も然りでした。
その後、30分ほど読経・焼香
「誦経宜中㝡禁高聲勵聲」の聯。
「誦経は宜しく中音なるべし、最も高声励声を禁ず」「お経を読む時は中音で読み、高い声や、大きな声で読むのは最もいけない」と。
和尚さまの法話を聞き、朝食を戴きました。
(朝食のお作法は、永平寺のDVDで拝見したのと同じように) 和尚さまのお話ひとつひとつが説得力があり、楽しかったです。
私も卯年ですの。と両隣合わせた方が、
仲良くお話して下さいました。
卯年と仰る上品な方は両膝に人工関節が入っていて、椅子坐禅のできる所を探してこちらの善福寺さまに来られて4年の83才でした。
四国、西国と播磨西国全て二度満願、また播磨西国を巡礼されていらっしゃるとのことでした。
朝食の終わりかけに、和尚さまから納経帳をお渡し下さると両隣の方が、拝受できるの?
と仰り、ご覧頂きました。
大切な御朱印を拝受出来て幸せな気持ちで帰宅しました。
帰宅後途端にグロッキー入りました。
緊張しすぎたのかもしれません。
目が覚めて、朝食(ほんまの精進料理)の
大根炊きの美味しさを忘れないうちに作りました。お寺さまの奥様も卯年だそうで、
同年代の🐇さんかと思いましたら!!
お若くてキレイでお料理上手な💝
『これもご縁ですね』
全ての暮らしのお手本が此方の
善福寺さまにありました。
ありがとうございました。
加古郡播磨町大中566
西国三十三観音霊場写
善福寺(ぜんぷくじ)
~eve⭐eveに美しいお寺さま~
山号 大澤山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏
あごなし地蔵尊(秘仏)
札所
郡西国三十三札所第二十番
坐禅会開催日
毎月第2土曜
夏19:30~21:30
冬19:00~21:00
1.8月お休み
奥様より、御朱印はお断りしていましたが、前にお二人お書き入れ致しました。
御朱印帳をお預かりして、御住職にお願いしておきます。ゆっくり素晴らしいものになりますように。と、お正月の座禅会にお招き戴けました。
また、御本尊とあごなし地蔵尊のご開帳があるとのことです。
早朝ですが、参加できますことを楽しみに精進します。
あごなし地蔵尊
古くは小野篁(802~852年 平安初期の漢詩人、歌人、参議等)が遣唐使渡航失敗や拒否で隠岐に流された折、思いを寄せた人の歯痛平癒のため建てたと言われています。
小野篁は、小野小町、小野道風の祖父とも言われています。
また、曹洞宗のお寺さまにお見受けできることと、歯痛祈願する習俗は島根・新潟・岐阜・長野・神奈川等に多く、この地蔵尊は全国異称地蔵一覧 日本寺院名鑑地」に明記されていますが、制作年代等の詳細は不明です。
~以下、飯沼先生『ひろかずのブログ』より~
「播磨西国霊場めぐり」よりも簡単に、誰にでもできる巡礼として、加古郡内に三十三観音めぐりの霊場が定められました。
これが「郡西国三十三札所(郡西国ともいう)」です。
この郡西国の二十番札所が、大中村の善福寺でした。 なお、善福寺の境内には三十三体の仏様が安置されています。
善福寺 ・ 西国巡礼・郡西国二十番札所 播磨町をゆく
大澤小学校(だいたくしょうがっこう)
学制(がくせい) 時代は、江戸時代から明治時代へとかわりました。 世界に目を開いた日本は、その遅れを取りもどすために、まず教育に力を注ぎます。
そして、明治5年(1872)8月「・・・・一般の人民は、必ず不学の戸なく、家に不学の人がいないようにする・・・」という大目標をかかげて教育の普及につとめました。 これが「学制」です。
この学制が実施された3年後の明8年には、全国に24,225の小学校がつくられました。 しかし、就学率は3割程度であったといわれています。
大澤小学校(だいたくしょうがっこう) この、学制により、播磨町域で最初につくられたのが大澤(だいたく)小学校でした。 大澤小学校は、大澤、野添、二子(ふたこ)、古田、東中野、山之上(やまのうえ)を学区として、現在の大中の善福寺境内に開設されました。 こうした初期の学校は寺院の一隅や民家を使って始められ、教員は二名か三名がふつうでした。 まさに、「明治版・寺子屋」です。 新政府は、火の車で、施設その建設費は国や県から支給されません。苦肉の策として多くの場合、寺が利用されました。 それに、小学校といえども現在と異なり授業料50銭が必要でした。 ですから、苦しい生活の中で学校制度反対運動も各地でおきています。 明治17年(1884)には大澤、本荘の両小学校が合併して、阿閇(あえ)小学校と改称され、明治33年(1900)、現在の播磨小学校の地に、木造校舎の阿閉尋常小学校が建てられました。 なお、戦後の昭和21年(1946)、阿閇村立阿閇小学校と名称が変わり、昭和22年、六・三制により、阿閇中学校(現:播磨中学校)が阿閇小学校を仮校舎に開校されました。 現在、善福寺の境内には大澤小学校跡を示す石碑が建てられています。
~・~・~・~・~
加古郡播磨町大中566
TEL 079-437-8074
最寄駅 (電車の方)
JR.土山駅より、西南へ徒歩20分、
山陽電車播磨町より、北へ徒歩15分
(車の方)250線 大中南交差点より1分
弁財天池 冬❄
大澤小学校(だいたくしょうがっこう)石碑
授与品
飯沼先生 『加古川さんぽ』
イラスト通りですが、実物はもっとハンサムでお優しいお話の仕方です。
巨大!キレイ!
巨大松ぼっくりと美しい松の木
名称 | 善福寺 |
---|---|
読み方 | ぜんぷくじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0794-37-8074 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
山号 | 大澤山 |
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宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏仏像傾聴御朱印札所・七福神巡り除夜の鐘法話 |
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ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
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